有王丸の墓

有王丸の墓は、和歌山県伊都郡かつらぎ町天野にある。
俊寛僧都の召使有王は、鹿ケ谷の謀議に破れて喜界ケ島に流され、寂しく世を去った俊寛の遺骨を治承3年(1179年)5月高野山に納め、法師となってあるじの菩提を弔い、天野に住み生涯を終えたといわれている。
俊寛の娘もまた、12歳で天野の別所で尼となったと「源平盛衰記」に記されている。
平家物語巻三「僧都死去」には次のように記されている。
「有王は俊寛僧都の遺骨を頸にかけ、高野へのぼり、奥院に納めつつ、蓮花谷にて法師となり、諸国七道修行して、主の後世をぞ弔ひける。」
「平家物語」を題材にして近松門左衛門が作った「平家女護島」の喜界島の段では、俊寛僧都が赦免状を示されながらも、喜界島に残る物語が描かれている。
高野山の墓地では、俊寛の墓は特定されていない。当時の納骨堂に納めたのではないかといわれている。


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