浅野内匠頭墓所

浅野内匠頭墓所は、和歌山県高野山奥の院の御供所西約100mのところにある。
浅野長矩(1667-1701)は、広島浅野家の分家で播磨赤穂城主である。
延宝8年(1680)に従五位下内匠頭(たくみのかみ)となった。
元禄14年(1701)に、幕府から勅使の御馳走役を命じられたが、
江戸城本丸の松之廊下で吉良上野介に斬りかかり、切腹して領地も没収された。

中央の墓石は、浅野内匠頭長矩供養塔のもので、次のように刻されている。
   奉爲淺野内匠頭長矩公追福也
 ア 冷光院殿前朝散太夫吹毛玄利大居士不生位
   元禄十四辛巳年三月十四日卒
(側面)施主播刕赤穂城主長矩公御家老
    大石内蔵助殿 為主君立之
(側面)元禄十四年六月八日建立之

家老の大石内蔵助(良雄)が施主となり、元禄15年(1702)6月8日に建立した。
内蔵助は、この年5月に赤穂遠林寺の祐海を高野山に遣わして亡君の法要を行った。
法要には、元赤穂藩士、早水藤左衛門と近松勘六が同行している。

向かって左の墓石は、赤穂四十七士菩提碑で次のように刻されている。
   為大石良雄他四十六士菩提也
   忠誠院刃空淨劔居士外四十六士各霊
   元禄十六年癸未二月四日於江戸卒
(側面)大正十三年十二月十五日建之
大正13年(1924)に高野山中学校(現高野山高校)の同窓会が建立した。

右の墓は、大石内蔵助の叔父 大石良重供養塔で、次のように刻されている。
   俗名大石頼母助藤原良重
 ア 賢徳院殿義翁良達居士
   元和三癸亥五月十八日卒同六月十八日 立
(側面)宿坊 寶性院
    施主 浅野隼人

南海高野線高野山駅から、奥の院前下車、徒歩15分。中の橋駐車場が利用できる。


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