芭蕉翁生家

芭蕉翁生家は、三重県伊賀市にある。
松尾芭蕉(1644-1694)は江戸時代前期の俳人で、蕉風俳諧を確立し、さび、しおり、細み、かるみを根本理念に多くの作品を残している。
芭蕉は正保元年(1644)にこの地で生まれた。
父は与左衛門、母は藤堂宮内の移封に伴い伊予国宇和島から名張に随従して来た桃地氏の娘と伝えられる。
与左衛門夫婦には三男四女があり、長男は平左衛門命清(のりきよ)、二男はのちの芭蕉で、幼名を金作、長じて宗房を名乗った。ほかに通称を甚七郎、別に忠右衛門といった。
芭蕉が19歳の頃に仕えた藤堂藩伊賀附の侍大将藤堂新七郎家の息主計(かずえ)良忠は、蝉吟(せんぎん)と号して、北村季吟門に俳諧を学んでいた。
俳諧好きの芭蕉は新七郎家の文芸サロンにも一座するようになり、頭角をあらわした。
その集大成が、後の処女選集「貝おほひ」の版行で、芭蕉が執筆した書斎「釣月軒」跡の碑が建てられている。
その後芭蕉は江戸に移り、俳諧宗匠となったのちも故郷に帰省しており、
「代々(よよ)の賢き人々も、古郷はわすれがたきものにおもほへ侍るよし。
我今ははじめの老も四とせ過ぎて、何事につけても昔のなつかしきままに---」
と記している。
生家横に、「古里や臍の緒に泣く年の暮」の句碑が建てられている。
また上野市駅前には、芭蕉翁像が建立されている。
伊賀線上野市駅下車、徒歩10分。


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