大楠公戦跡

大楠公戦跡は、兵庫県芦屋市楠町の楠児童遊園にある。
建武3年(1336)1月京都に入った足利尊氏は、東北の軍勢を率いた北畠顕家の猛攻撃により、戦場は京から大阪に移った。
足利軍は、西宮、芦屋に兵を退かせたが、そこで打出合戦が行われた。
打出の地名は、西国街道を旅した人々が京都を出発し、はじめて海に打ち出るということに由来するといわれる。
打出の合戦は、公家中心の政治の復興を目指す後醍醐天皇を支持する楠正成と、武家政権を目指す足利尊氏の両軍が当地で激突したもので、結果は足利軍が兵庫に敗走して楠木軍の勝利に終わった。

太平記巻十五では次のように記されている。
ここに楠判官正成、殿(おくれ)ばせにて下りたりけるが、合戦の体を見て、(略)をめき叫んでぞ寄せたりける。(略)
(足利方の)厚東、大内一太刀打たしてさつと左右へ分るれば、土居、得能後へふと駆け抜けて、左馬頭(足利直義)の引へ玉へる打出の西の宿のはしへ懸け通り、(略)
されば、左馬頭叶はじとや思はれけん、また兵庫を指して引き玉ふ。

昭和9年(1934)、精道村強化団体連合会は楠公六百年祭記念事業としてこの石碑の建立を企画し、必要な経費は村内の有志が寄付し、
土地は地元の名士である斎藤幾多からの寄付を受けて、陸軍大臣 本庄繁の揮毫により昭和10年(1935)2月に竣工した。
昭和19年(1944)の町名改正では、この戦跡碑をもとに「打出楠町」となり、昭和43年(1968)以来の住居表示制度により、現在の「楠町」となった。
公園正面には鳥居や石段もあったが、市の公園改修事業に伴い、大楠公戦跡碑と斎藤幾太(多)翁胸像(戦時中に供出され土台部のみ現存)が国道2号線沿いの現在の場所に移設された。
阪神電鉄打出駅から徒歩7分。


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