円徳寺

功徳山円徳寺は、岐阜市神田町にある浄土真宗本願寺派の寺院である。
寺伝によると、寿永2年(1183)長旗の地に、比叡山延暦寺の寂円によって創建された天台宗功徳山法泉寺を前身とする。
嘉禎元年(1235)二世寂照が親鸞に帰依して、浄土真宗に改め、浄泉坊と称し、慶長年間(1596-1615)に現在地に移され、円徳寺と改めた。
天文16年(1547)、織田信秀(信長の父)が岐阜に攻め入った際、斎藤道三に大敗し、犬山城主織田信康ら5千人が上加納で戦死し合葬して、織田塚が築かれた。
織田塚の域内に浄泉坊(現円徳寺)があり、永禄年間に円徳寺が織田塚の西方300mの現在地に移転するに伴い塚は次第に荒廃した。
寺伝では、安永5年(1776)、安八郡神戸村善学院僧金龍が、織田塚を円徳寺境内に移し、塚上に碑を建てたといわれており、伝織田塚改葬地として岐阜市の指定史跡となっている。
織田信長嫡孫の織田秀信(幼名三法師)は、岐阜城主であった慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍に属して戦った。
しかし、岐阜城は落城し、織田秀信は円徳寺に来て剃髪して仏門に入り、高野山に送られた。
寺宝として、織田信長が立てた「楽市場・定」の制札や、信長寄進の梵鐘、織田秀信が使ったといわれる銀箔押烏帽子形兜等を所蔵している。
JR岐阜駅下車、徒歩5分。


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