橋本歴史いきいきウォーク資料 

三軒茶屋大常夜燈籠は、和歌山県橋本市の旧高野街道にある史跡で、市の文化財に指定されている。
高野街道は、京都・大阪・堺から河内長野を経て高野山へ向かう道で、古くは九度山町の慈尊院から町石道を登った。
その後、御幸辻から南下して谷内川(橋本川)河口付近から紀の川を渡ってこの地に至り、学文路から高野山へ登っていく道が開かれた。
この道は、町石道に比べて距離も短くなったことから、室町時代後期には、高野参詣はもっぱらこの道が用いられるようになった。
天正15年(1587年)応其上人は、紀の川に橋本の地名の由来となる長さ130間(236m)の橋を架けたが、紀の川増水により3年後に流失し、橋に代わって舟による有料の横渡(よこわたし)が行われるようになった。
しかし、増水時の割増運賃や営業時間の巡ってのトラブルもあり、元禄10年(1697年)から、高野山と紀州藩、関係村々が費用を出して「無銭横渡」となった。無銭横渡は常夜の営業で両岸の燈籠に灯がともされ、旅人の目印であった。
元は石燈籠二基が相対して建てられていたが、近年の道路拡幅工事で東側の一基が北へ約5m移動された。
この石灯籠には、宝暦2年(1752年)「高野山興山寺(現在の金剛峯寺の前身)領」の銘が刻まれている。
紀伊名所図会の橋本・東家・陵山にも、「橋本わたし」の舟が描かれている。
南海高野線紀伊清水駅から徒歩8分。


紫雲山定福寺は、和歌山県橋本市賢堂にある真言宗の寺院である。
当寺は高野山参詣道の黒河道のスタート地点に位置しており、黒河道は平成27年10月に国の史跡に指定されている。
本尊木造阿弥陀如来坐像は像高88cmで、両手を腹前で組んで上品上生(弥陀定)印を結んでいる。
檜材の一木造りのこの像は、腹部の丸みに合わせて刳り込んだ一材の両膝を矧(は)ぎ寄せる手法で作られ、平安時代中期(10~11世紀)の作品である。
均整のとれた頭体で、和歌山県の有形文化財に指定されている。
境内下にある九重塔(橋本市指定文化財)は、相輪部九輪の六段目以上と塔身部第八層目が欠損しているが、基礎部の銘から弘安8年(1285年)に建立された石造層塔である。
「伊都郡学文路村誌」には、「何の為に建立されたものかに就いては異説紛々、或は朝鮮より渡来せりといひ、容易に判定し難いが、塔の下には、石棺を埋めてあると言はれ、『一村大飢饉の際に非ざれば発掘すべからず』との伝えがあるとて、人々畏怖して手を触れず」と記されている。
南海高野線紀伊清水駅から徒歩9分、JR和歌山線及び南海高野線橋本駅から徒歩25分。(Y.N)


くにぎ広場は、和歌山県橋本市南馬場にある農産物直売所である。
当初は、平成24年(2012年) 学文路天満宮鳥居西側に店舗がオープンした。
平成27年(2015年4月)に、「紀の川フルーツライン」沿いの高台に建物が建設されて移転したものである。
くにぎ広場・農産物直売交流施設組合が運営しており、「はたごんぼ」をはじめ、地元の野菜・花・果物を販売している。
コロッケやはたごんぼの炊き込みご飯などの惣菜も販売している。
「はたごんぼ」は、橋本市西畑地区で生産される、太くて長い香りの高いごぼうで、一度栽培が途絶えた地元伝統野菜を復活したものである。
はたごんぼは11月から3月頃まで販売される。
店舗北側には、見晴らしの良い場所に椅子が置かれており、紀ノ川や和泉山脈を一望に望むことが出来る。
南海高野線紀伊清水駅下車、徒歩30分。無料駐車場がある。


学文路天満宮は、和歌山県橋本市にある神社である。
社名は天満神社で、現在は学文路地区全域の氏神となっている。
祭神は、菅原道真公で本殿中央に祀り、左側に天穂日命(あめのほのひのみこと)、御父君 菅原是善卿(すがわらこれよしきょう)、御母君 園文字姫(そのもしひめ)の3柱、右側に旧学文路村内の55柱を祀っている。
創建について、「天満神社御縁起」では、「天満神社は、人皇第75代崇徳天皇の天治元年(紀元1124年)9月25日、紀伊国伊都郡当時相賀の荘の今の地に御勧請、<中略>当神社は京都北野神社御建立の際、時の帝第62代村上天皇の天暦元年(947年)、日本国中一郡に大社小社に不限必ず一社の鎮座を被仰出たるに依る」とされている。
元弘3年(1333年)の後醍醐天皇の綸旨、いわゆる元弘の勅裁により、相賀荘は「相賀荘河北」「相賀荘河南」と、紀ノ川の河北と河南で領有が二分された。
相賀荘河北は、これまでどおり根来寺領、相賀南荘は、高野山寺領となった。相賀大神社を「河北惣社」と呼ぶのに対し、天満神社は、南荘の総鎮守となって、「河南天神」ともいわれて、崇敬された。
明治6年(1873年)に村社、明治40年(1907年)に神饌幣帛供進(しんせんへいはくきょうしん)神社に指定された。
伊都地方唯一の天満宮として、学業成就、受験合格の参拝者が多く訪れている。
祭礼は、1月25日(初天神)、8月25日、10月第4日曜日に行われており、初天神には学文路地区の小中学生の書初め展がある。
南海高野線学文路駅下車、徒歩20分。参拝者用駐車場がある。(Y.N)

          担ぎだんじり飾幕「川中島の合戦」


成就寺(大師堂)は、和歌山県橋本市南馬場にある高野山真言宗の寺院である。
瑜伽山遍照院と号する。本尊は、厄除弘法大師像である。
寺由緒によると、空海が開基したと伝えられている。
境内には、本堂、坊舎、山門(内部に鐘楼あり)、船越喜右衛門之碑等がある。
寺宝として、露盤宝珠(寛永年間高野山千手院長泉房良弁作)、棟札(寛永20年作)、石像(如意輪観音)がある。
船越喜右衛門は、文政元年(1822年)学文路に生まれ船頭をしていた。
嘉永5年(1852年)7月に紀の川に大洪水があり、船越喜右衛門が紀の川氾濫の危険も顧みず、船を出して多くの村人を救った功績を称えて、石碑が建てられている。
南海高野線紀伊清水駅下車、徒歩15分。


清水不動寺(鎌不動堂)は、和歌山県橋本市清水にある。
天保年間(1830-43)に造営された。本尊は、鎌不動尊(地蔵菩薩)といい、弘法大師が民家の鎌を以て作られたという。
御鏡、「不動尊」の額(大和高取藩主 植村氏の寄進とある)、高野玉川新四国霊場第5番の額等がある。
南海高野線紀伊清水駅から徒歩7分。



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