貧女の一燈 お照の墓

貧女の一燈お照の墓は、和歌山県かつらぎ町天野の里にある。
高野山奥の院の弘法大師御廟の拝殿は、燈籠堂と呼ばれている。
燈籠堂には、千年近くも燈明が輝いている「貧女の一燈」がある。
お照という少女が、自分の黒髪を売って養父母の菩提を弔うために献じた燈籠で、お照はその後、かつらぎ町天野に庵を結び、生涯を終えた。
天和2年(1682年)妙春尼によって供養塔が建てられ、貞受5年(1688年)天野の僧 浄意が女人の苦しみを救うために代受苦の行を十年間勤め、碑が建立された。その上には、実父母の墓と伝えられる碑がある。
JR和歌山線笠田駅から、かつらぎ町コミュニティバスで「丹生都比売神社」バス停下車徒歩5分。
京奈和自動車道紀北かつらぎインターチェンジから、国道480号線を車で約20分。近くに丹生都比売神社の駐車場がある。(Y.N)



 貧女の一燈 お照 

むかし、和泉(いずみ)の槇尾山(まきおさん)のふもと横山村坪井に、奥山源左衛門(おくやまげんざえもん)・お幸(こう)の夫婦が住んでいた。
子宝にめぐまれるように、いつも槇尾山の観音様にお参りした帰り道、辻堂の軒下に、浪人の編み笠の中に子どもが捨てられ、声をかぎりに泣いていた。
夢中でかけ寄った二人は、子どもを抱き上げると、りっぱな絹の小そでに美しいたんざくがそえてあった。
千代(ちよ)までも ゆくすえをもつ みどり子を
         今日しき捨(す)つる そでぞ悲しき

このとき、乳飲み子を捨てるせつない親心をさとった夫婦は、(きっと仏様が授けてくださったんよ)と喜んだ。
夫婦は、子どもに「お照(てる)」と名付けて大事に育てた。

月日のたつのは早いもので、小さかったお照はすくすくと美しく育ち、村いちばんのやさしい娘になったが、お照が十六歳になったとき、流行病でお幸が亡くなっってしまった。
お照の心のこもった手厚い介抱もむなしく、間もなく、父も後を追うようにこの世を去った。
父が息をひきとる前に、お照を枕元に呼んで、その生い立ちを話して聞かせ、実の親の形見を渡した。
あいついで両親を失ったお照は、一人ぼっちとなってしまったが、両親の墓参りを毎日欠かすことなく続けていた。
そしてお照は、旅人から高野山燈籠堂の話を聞き、両親のあの世の幸せを祈るため、冥土の道を照らすという灯を、「奥の院」にお供えしようと決心した。
けれども、奉公先で貧しいくらしのお照は、手元に燈籠供養料は用意できなかった。
お照はいろいろと考えたすえ、女の命とまでいわれる黒髪を切って、お金にかえることにした。
かもじ職人の家で髪を切り短髪となったお照は、小さな木製の灯ろうを買い求め、形見の品と両親の位牌とともに高野山へ向かった。
お照は、ささやかな一生のうちで、最初で最後の高価な買い物であったが、この燈籠で両親の魂が救われると思うと本当に嬉しかった。
しかし、ようやくたどり着いた神谷(かみや)の里で、高野山の女人禁制の掟てを聞かされた。
一心に思いつめてきたお照は驚いて途方に暮れ、旅の疲れで、その場にうずくまってしまった。
そのとき幸いなことに、高野山から足早に下りてきた若いお坊さんに助けられた。
夢のお告げで一人の娘のことを知らされて、急ぎかけつけて来たという。
お照はお坊さんとともに女人堂まで上り、うれし涙で頬を濡らしながら、燈籠を渡し、お照の燈籠も須弥壇に並べられた。
奇しくもその日は、薮坂の長者が一万基の燈籠を寄進した法会があり、奥の院で新しい一万個の燈籠に灯がともされ、おごそかなお経の声に包まれて、幻想的な光景となった。
長者は先祖の菩提を弔うという厚い信仰から寄進を申し出たが、羨望のまなざしを浴びるうちに、今までに誰もできなかったことを成し遂げたとの気持ちが強くなっていた。
長者は、ふと万灯に目をやったとき、見知らぬ一灯に気付き、
「あの小さな灯ろうは、だれのものか。」
と、僧に尋ねた。
「あれは貧しい娘がささげました。」
と、聞いたとたん、
「いやしい女の、明かりが何になろう。」
と、立ち上がろうとした。
するとにわかに風がふきこんで、数多の燈籠が吹き消され、お堂の中は真っ暗になった。
その暗やみの中に、一つの光明があった。両親の菩提を祈り、乙女の命の黒髪で納めた孝女お照の燈籠だった。
この不思議なできごとに、長者は自分の行いを心からはずかしく思い、両手を合わせたという。
それから、お照のともしびは「貧女の一灯」として、長い年月を一度も消えることなく、今もなお「奥の院」の燈籠堂で清い光を放っている。

その後、お照は長者の世話により、天野の里に庵をつくり、尼となった。
毎日まことのいのりをささげるお照は、いつしか天野の里人にも親しまれるようになっていった。
ある年の冬、粉雪がまう朝、お照は慈尊院への道すがら、行きだおれの老人を見つけた。
お照は、
「御仏(みほとけ)に仕える者です。どうぞ、庵においでください。」
と、抱き起こした。
すると老人は、
「かたじけない、どうかおかまいなく………。人の情(なさけ)にすがることのできない、罪深い男でござる。このたび高野山へ登り、お大師様のもとで一生を送りたいと、ここまで参った。どうか、ざんげ話をお聞きくだされ。」と
老人は長い旅の間に妻に先立たれ、困り果てたすえ槇尾山のふもとで、わが子を捨てたことを話した。じっと聞いていたお照は、源左衛門の話を思い出した。
(もしや、このお方がお父上様では………。)
と、はやる心をおさえながら、あのたんざくの和歌を静かに読んだ。
千代までも ゆくすえをもつ みどり子を…
「そ、その和歌を知っているあなたは、照女(てるじょ)………。」
「………お父上様………。」
両手をにぎる父親と娘は、この不思議なめぐり合わせをなみだを流して喜んだ。 
その後、老人は高野山で僧になり、お照は天野の里で穏やかな祈りの一生を送ったという。
かつらぎ町では、お照の墓・庵の跡・父母の墓石の伝説が、ゆかしく語りつがれている。
(参考資料:和歌山の民話、新高野百景)


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