伊勢 上野城跡

伊勢 上野城跡は、三重県津市河芸町の本城山青少年公園にある。
伊勢上野城は、伊勢街道沿いの旧上野宿の西側背後に造られた城で、室町時代に造られたと推定されている。
当時安濃郡分部(現在の津市分部)を本拠地としていた分部氏が、いつのころからか長野(工藤)氏の一族となり、天文17年(1548)ころ長野氏からこの城を預けられて在城した。
永禄11年(1568)に、長野氏は織田信長の伊勢侵攻により信長軍と戦ったが、後に和睦して長野氏は信長の弟 織田信包(のぶかね)(1543-1614)を養子とし、信包は長野氏の宗主として永禄12年(1569)伊勢上野城の城主(5万石)となった。
その後 信包は、上野城を安濃津の仮城として、翌年の元亀元年(1570)から、上野城を分部左京亮光嘉に命じて新たに築城し直し、山の上の平地を城地に編入している。
信包は、本城の安濃津城を築城するため、適地を家臣の瀧川一益に選ばせ、元亀2年(1571)から分部光嘉を普請奉行として、現在の津城跡の地で工事に着手した。

天正元年(1573)に浅井長政が織田信長に敗れて、近江国小谷城が落城すると、信長の妹(浅井長政正室) お市の方と三姉妹(茶々、初、江)が、岐阜城、清須城滞在後に、天正2年(1574)に(伊勢上野城の)信包(信兼)の元に預けられたと伝えられている。
すなわち 織田信長の伝記として知られる「総見記」には、お市の方と三姉妹は供の藤懸長勝(ふじかけながかつ)と木村小四郎(きむらこしろう)を従え小谷城を退去し、「備州(長政)ノ内室ハ正シク御妹ナルカ故ニ、暫時ノ間ハ上野介信包ニ預ケ置カル」とある。
(小和田哲男氏「戦国三姉妹 茶々・初・江の数奇な生涯」「江史跡紀行」参照)
しかし近年の研究によると、お市の方と三姉妹は、伊勢上野城ではなく、信長の叔父の織田信次に預けられ、尾張国守山城で過ごし、その後岐阜城に移ったとされる。
(宮本義己氏「誰も知らなかった江」 『渓心院文(けいしんいんのふみ)』 黒田基樹氏「お市の方の生涯」参照) → 浅井三姉妹ゆかりの地

天正8年(1580)安濃津城が築城されると、信包は安濃津城に移り、上野城は分部光嘉が城代となった。
本能寺の変の後、信包は近江国に転封となり、分部光嘉が豊臣秀吉から一万石を与えられて上野城主となった。
慶長6年(1601)分部光嘉の病死後、娘が嫁いだ雲林院城主 長野治右衛門正勝の養子 光信が上野城主となった。
慶長13年(1608)藤堂高虎が津藩主となると、上野藩領は紀州藩領となって、上野藩は廃藩となり、元和5年(1619)上野城主 光信は近江国大溝へ転封となり、上野城は廃城となった。



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