浄祐寺

浄祐寺は、大阪市北区堂島3丁目にある日蓮宗の寺院である。
当寺には、赤穂浪士 矢頭長助(やとうちょうすけ) 右衛門七(えもしち)父子の墓と五大力之碑がある。

矢頭長助は、討ち入り前に死ぬが、子の右衛門七(浅野長矩の小姓)が、父の遺志を継いで討ち入りを果たした。
江戸へ下るとき貧乏で路銀がなく、里人から借金をして出立した。
大石良雄は後になってこのことを知り、里人に五両返して感謝した。
里人は討ち入りを伝え聞いて、当地に墓を作ったという。

五大力之碑(五大力の墓)は、元文2年(1737)に遊女 菊野をめぐって実際にあった五人殺傷事件の犠牲者の墓である。
五大力(ごだいりき)は、五大力菩薩の略で、手紙の封じ目にこの三字を書くと、五大力菩薩の加護で無事先方に着くと信じられた。
遊女 菊野が心変わりしない証拠に、三味線に「五大力」と書いて愛を誓ったが、その後「三五大切」と書き換えたことから刃傷沙汰が起こった。
薩摩藩士が大坂で起こしたこの事件をモデルに、並木五瓶(ごへい)が江戸深川を舞台にした世話物歌舞伎「五大力恋緘(こいのふうじめ)」(寛政6年(1794)初演)として劇化し、評判を呼んだ。
石碑側面に刻された「五人斬追善碑文」には、事件の125年遠忌(文久元年(1861))に里人が五大力之碑を建立したと記されている。



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