浄瑠璃寺(九体寺)

小田原山浄瑠璃寺(九体寺)は、京都府木津川市にある真言律宗の寺院である。
縁起である浄瑠璃寺流記(るき)によると、永承2年(1047年)当麻出身の僧義明上人を開基に、阿知山大夫重頼(あちのやまのたいふしげより)を檀那として創建された。
京都南山城のこの一帯は、平安時代に興福寺などの僧が修養研鑽のために出入りし、小田原別所と呼ばれた。
今は廃寺となった隋願寺と浄瑠璃寺が中心となり、それぞれ東小田原、西小田原と呼ばれ、周囲に多くの子院、住房がつくられた。
創建時の本尊が薬師仏であったことから、その浄土である浄瑠璃世界が寺名の由来とされている。
嘉承2年(1107年)に現在の本堂(国宝)が建立され、京都の一条大宮から三重塔(国宝)が治承2年(1178年)に移建された。
現在の伽藍は、池の東側に薬師如来を安置する三重塔、西側に九体の阿弥陀如来を安置する本堂、北側に大日如来を祀る灌頂堂が配置されている。
薬師如来は、東方薬師瑠璃光浄土の教主で、現実の苦悩を救い目標の西方浄土へ送り出す遣送仏(けんそうぶつ)である。
阿弥陀如来は、西方極楽浄土の理想の世界へ迎えてくれる来迎仏である。
また、大日如来は、真言密教の最高位の仏で、宇宙全体の生命の根源としてすべての世界を包む存在とされている。
池を挟んで此岸(現世)と彼岸(来世)が向かい合う配置で、日本で最初に九体の阿弥陀仏を祀った藤原道長建立の法成寺(ほうじょうじ)(今は廃寺)と共通する。
国特別名勝、国史跡の浄瑠璃寺庭園の中心には池があり、興福寺一条院の恵信(藤原頼通の子)が掘ったもので、州浜敷きの出島や中島があり、中央の小祠には弁財天が祀られている。
九体の阿弥陀如来坐像(国宝)は、観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)に説く九品(くほん)往生思想に基づくもので、九つの往生の段階がありそれぞれの仏が救うといわれる。
平安時代後期に流行したもので、今は当寺にのみ現存する。
また、本堂内には吉祥天立像、四天王立像、不動明王像などがある。
薬師如来像、吉祥天立像、大日如来像は秘仏で、開扉日が決められている。



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