柿本人麻呂 吉野宮滝 萬葉歌碑

柿本人麻呂 吉野宮滝 萬葉歌碑は、奈良県吉野町の吉野宮滝野外学校東側にある。
吉野宮滝野外学校の宮滝河川交流センター側に、「史跡 宮滝遺跡」の碑があり、その碑と柴橋の間の歌碑に次のように刻されている。

(表面)
萬葉歌碑
吉野宮(よしののみや)にいでましし時、(幸(みゆき)したまひし時に)、柿本朝臣人麻呂(かきのもとあそみひとまろ)の作れる歌
やすみしし わが大君の きこしめす 天の下に 國はしも さはにあれども
山川の きよき河内と み心を 吉野の國の 花散らふ 秋津の野辺に
宮柱 ふとしきませば ももしきの 大宮人は 舟なめて 朝川わたり
舟ぎほひ 夕川わたる この川の たゆることなく この山の いや高しらず
水はしる(水そそぐ) 滝の都は 見れどあかぬかも

反歌
見れどあかぬ 吉野の川の 常滑(とこなめ)の たゆることなく またかへり見む

(裏面)
吉野離宮の聖趾なるこの勝地に表記の名歌の碑を
建てることは私の少年時代からの念願である。
昭和二十七年國學院大學教授武田祐吉博士の揮毫
を煩し山本忠氏より碑石の提供を受け宿志を果し
たが伊勢湾台風で崩れ去ったので再度山本氏より
碑石を受け茲に再建した。
萬葉文化回顧の資ともなれば幸甚である
昭和三十六年二月
國學院大學教授 経済学博士 北岡壽逸
                     上市出身

吉野賛歌といわれる歌で、次のように解されている。(新日本古典文学大系「萬葉集1」参照)
吉野宮に行幸された時に、柿本人麻呂朝臣が作った歌
(やすみしし)我が大君が、お治めになる天の下に、国は数多くあるが、
山や川の清らかな河畔の地として、(御心を)吉野の国の、(花散らふ)秋津の野辺に
宮柱を太く宮殿をお建てになったので、(ももしきの)大宮人たちは、舟を並べて朝の川を渡り、
舟を競って夕べの川を渡る。この川のように絶えることなく、この山のようにいよいよ高く御治めになる、
水がほとばしる滝の離宮は、いくら見ても見飽きることがない。

反歌
見ても飽きることのない吉野川の常滑のように、常に絶えることなくまたこの地に帰って来てみよう。

柿本人麻呂(生没年未詳)は、万葉集の代表的歌人である。天武、持統、文武の三代に活躍した。
雄大荘重な長歌の形式を完成する一方、短歌においても抒情詩人として高い成熟度を示し、万葉歌人中の第一人者とされている。
天武朝に「柿本朝臣人麻呂歌集」を筆録、編纂し、後の歌風の基礎を築き、後世、歌聖とあがめられた。



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