鎌倉大将軍社 延命地蔵尊 元浄泉寺塩市の燈籠

鎌倉大将軍社は、和歌山県橋本市にある。
西隣には、廃浄泉寺延命地蔵尊と塩市仲間の石燈籠がある。

紀伊続風土記の古佐田村の項に、次のように記されている。
〇小祠四社
 大将軍社 森周三十三間
 若宮三社
〇浄泉寺 浄土宗西山派名草郡梶取村総持寺末
 鐘楼 鎮守社
村の南にあり 縁起に本尊地蔵尊は延暦中田村将軍奥州征伐の時 守本尊とし深く祈請して遂に夷賊を退治し
大同中此地に七堂伽藍を建立して此本尊を安置すといへり
恵心僧都か書けりといふ阿弥陀像信誉上人の六字名號あり

大将軍(たいしょうぐん、だいしょうぐん)とは陰陽道の八将神(八将軍)の一つで、金曜星の神格である。
3年同じ方位に留まるため三年塞がりといい万事に大凶である。
鎌倉の意味は不明である。当地の利生護国寺の改修や血縄の説話で知られる、鎌倉幕府執権の北条時頼(1227-1263)のことを指しているのではないかとの説もある。

元浄泉寺塩市の燈籠は、古佐田の浄泉寺境内にあったとされ、明治43年(1910)に浄泉寺が廃寺となった際に、丸山公園内の庚申堂前に移された。
その後、延命地蔵尊が新しく建てられたのを機に当地に移された。
各面には次のように刻されている。
 東面 正徳五乙未年六月廿四日
     古佐田村陵山浄泉寺義建代
 南面 奉寄進地蔵前石灯籠
 西面 橋本町塩市仲間

橋本町の塩市は、天正15年(1587)応其上人が橋本町を開き、豊臣秀吉に願い出て永代諸役免除と塩市の特権が与えられたことに始まる。
当初、一と六のつく日に市が開かれる一六塩市が行われ、のち徳川頼宜の紀州入国(1619年)以降、現在の和歌山市にあった三葛(みかずら)村の塩舟関係者からの願いにより、月6回の塩市が12回に増やされた。
橋本町塩市仲間が寄進し、当地が紀の川中流の塩市として栄えたことを示すもので、橋本市の文化財に指定されている。
南海高野線橋本駅下車、徒歩10分。



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