金山古墳

金山古墳(国史跡)は、大阪府河南町芹生谷にある。
ほぼ南北に大小二つの円丘を連続した形で築かれた瓢形双円墳である。
石室、石棺や出土した土器の形から6世紀末から7世紀初頭に築かれたと考えられている。
北丘は2段築成で、直径38.6m、高さ6.8m、南丘は3段築成で直径55.4m、高さ9.4m、南北の長さは85.8mで、ふたつの円丘は同時に築かれた。
墳丘の周りには、深さ1.4mの堀が築かれたが、水をためる機能はなかったと考えられている。
北丘には、長さ10mの横穴式石室があり、凝灰岩の家形石棺が2個置かれていた。
内部は盗掘されており、銀製耳環、ガラス製瑠璃玉、馬具、鉄刀などが出土している。
南丘にも、横穴式石室があることが判明したが、未調査である。
埋葬者は未詳であるが、6世紀末から7世紀初頭の渡来人との関わりのある古墳ではないかと考えられている。
聖徳太子の子の三枝王の墓とする説もある。
大阪府立近つ飛鳥博物館に金山古墳石棺の実物大模型が展示されている。
平成3年2月15日に国史跡に指定された。
近鉄長野線富田林駅からバスで芹生谷下車、徒歩1分。


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