興山上人一石五輪塔

興山上人(応其上人)一石五輪塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
応其は、1537年近江国蒲生郡観音寺に生まれた。俗姓は佐々木順良(むねよし)といい、主家の大和の国高取城主の越智泉が没落したため、紀伊の国伊都郡相賀荘に移り住んだ。37歳の時、出家して高野山に登り、名を日斎房良順のちに応其と改めた。
高野山では米麦を絶ち木の実を食べて13年間仏道修行を積んだため、木食上人と呼ばれた。
1585年豊臣秀吉が根来寺の攻略の後、高野山攻撃を企てた時、高野山を代表して和議に成功し、秀吉の信任を得て高野山再興の援助を受けた。
そのため、興山上人と呼ばれている。
高野山奥の院の頌徳殿北側に、「興山応其上人廟」があり、尾張徳川家墓所の北側に興山上人一石五輪塔がある。



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