旧萱野家 (大石順教尼の記念館)

旧萱野家は、和歌山県九度山町にある町指定建造物である。
旧萱野家は、もと不動院と呼ばれる高野山古義真言宗の寺院で、元禄16年(1703年)遍照寺祐尊が建立した。
四代眞盛の時、高野山眞蔵院を兼ね、冬季の避寒所として住職が高野山から下山し、同院の里坊としての役割を果たしていた。
現在は民家となっているが、江戸時代中期の避寒所としての寺院建築様式を残す建造物として、萱野家主屋、門、倉(土蔵)の3棟が、平成8年6月28日に九度山町指定有形文化財(建造物)として指定された。
平成21年2月に、萱野家3棟が九度山町所有の建造物となり、平成21年12月25日に、萱野家を旧萱野家と改称した。

大石順教尼(本名 大石よね)(1888-1968)は、明治21年に大阪道頓堀で生まれた。
明治38年(1905年)養父中川萬次郎の狂刃による六人斬り事件の巻き添えを受け、17歳で両腕を切り落とされた。
不慮の境遇を克服する生活を送っていたある日、カナリアがくちばしで雛に餌を与える姿を見て、両手がなくても口で筆を使えることに気づき、寸暇を惜しんで筆の練習に励んだ。
一方、古典をはじめ和歌、絵画の道を究めるなどの修行を重ねた。
40歳頃から仏道と身体障害者の自立教育を推進し、福祉相談にも力を注いだ。
その後、萱野家当主萱野正之助の知人が取り持つ縁で、萱野家とも親交を深めることになり、昭和8年(1933年)に萱野正之助、タツ夫婦が菩提親となり、高野山天徳院で天徳金山大僧正を師として出家得度し、法名を「順教」とした。
出家後も萱野家にしばしば逗留するなど親交が続き、その際に制作された書画が展示されている。
昭和37年には東アジアで初めての世界身体障害者芸術家協会会員としての認証を受けるなど多方面で活躍し、昭和43年に京都山科の可笑庵で80歳の生涯を閉じた。
九度山町が大石順教尼の偉業をたたえるため、平成22年から旧萱野家(大石順教尼の記念館)と名称も新たにして、遺墨等の保存と展示を行っている。
高野山奥の院には、腕塚、大石順教尼之墓がある。
南海高野線九度山駅下車、徒歩7分。



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