密厳堂

密厳堂は、和歌山県高野山奥の院にある。
檜皮葺き宝形造りの堂宇には、高野山から離れ新義真言宗を唱え根来寺を起こした覚鑁上人興教大師が祀られている。
覚鑁上人(1095-1143)が祀られていることから、その名をとって、覚鑁堂とも呼ばれている。
覚鑁上人は、平安時代後期に活躍した真言宗中興の祖の一人で、鳥羽上皇の庇護のもと、密厳院と大伝法院という道場を建立し、勉学のための大伝法会を再興した。
その後、大伝法院座主として弘法大師御入定三百年御遠忌大法会を行ったが、
大伝法院を本山扱いすることに、東寺と金剛峯寺から反発を受けて、保延2年(1136)に座主職を解任され、密厳院で4年間の無言の行に入った。
保延6年(1140)には、金剛峯寺側の兵が押し寄せたため、七百人の弟子と共に根来へ移った。
また、この密厳堂の前の御廟への道は、43段の石段になっていて、坂の上に覚鑁堂が建っていることことから、覚鑁坂と呼ばれている。


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