森白象句碑(普賢院芭蕉堂前)

森白象句碑(普賢院芭蕉堂前)は、和歌山県高野山にある。
四国吉野川産青石の石碑には、次のように刻されている。
(表面)
平凡を倖せとして去年今年
           白象(はくしょう)
(裏面)
        識
 高野山真言宗管長 総本山金剛峯寺 第四百六世座主 森寛紹猊下は 愛媛県重信町ご出身である
幼名 健三 幼くして 高野山普賢院に入山 克己精進 遂に最高峰を極められる 猊下はまた 白象の名をもち ホトトギス派の俳人として名がある
 『平凡の中の非凡 非凡の中の平凡』
 句は日々生々のお心 高邁なお人柄にあふれ いつまでも清々しく 私たちに呼びかけ 感銘を誘ってやまない
 数あるご事蹟の中 管長 座主ご在任中 半世紀に一度の 高祖弘法大師御入定千百五十年御遠忌大法会奉修 の大任を成功裡に果たされた功績はとくに光芒を放つ
 第一回愛媛放送賞受賞をはじめ わが社の放送事業を通して かずかずのご高徳に預った縁の深さは有難い
 管長 座主ご成満にあたり 長くその徳を讃えんと ここに記念の句碑一基を建立する
   昭和六十年十一月十四日
     愛媛放送株式会社
       代表取締役社長 佐々木弘吉

森白象(もりはくしょう)(寛紹)は、明治32年(1899)愛媛県に生まれ、明治43年に高野山普賢院に入寺している。
昭和47年(1972)高野山第473世寺務検校法印、昭和55年(1980)高野山真言宗管長・第406世金剛峯寺座主となった。
昭和2年(1927)に高浜虚子と出会い、ホトトギス同人となり生涯虚子を俳句の師とした。
普賢院芭蕉堂南には、森白象句碑(普賢院)があり、高野山奥の院英霊殿前には、森白象(寛紹)句碑がある。→ 高野山内の歌碑、句碑、詩碑



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