紫式部歌碑(長神の杜)

紫式部歌碑は、京都市右京区の小倉百人一首文芸苑の一つ 長神の杜にある。
歌碑前にある説明板には、次のように記されている。

新古今集
小倉百人一首第57番
  紫式部
 めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに
  雲がくれにし 夜半(よわ)の月かな
歌意 久しぶりにめぐり逢って見たのが確かであるかどうか、
    見分けがつかないうちにあなたは慌ただしく帰ってしまった。
    雲の間に隠れてしまった月のように。
書 日比野 光鳳

紫式部は、平安中期の物語作者、歌人。「源氏物語」「紫式部日記」「紫式部集」の作者。生没年及び本名は未詳。
父は、当時有数の学者、詩人であった藤原為時。長徳2年(996)越前守となった父とともに北陸に下り、翌々年帰京。
父の同僚であった山城守右衛門佐の藤原宣孝と結婚、翌年賢子(のちの大貮三位(だいにのさんみ)を産んだ。
長保3年(1001)宣孝が病死し、その後「源氏物語」を書き始め、寛弘2年(1005)一条天皇の中宮 彰子のもとに出仕した。
はじめ「藤式部」やがて「紫式部」と呼ばれるようになる。紫は源氏物語の女主人公 紫の上にちなみ、式部は父 為時の官職 式部丞による。

廬山寺境内にも、同じ和歌の碑が建立されている。→ 紫式部 大貮三位 歌碑
「夜半の月かな」は、新古今集 紫式部集 百人一首の古い写本では 「夜半の月影」となっているため、廬山寺の歌碑は、「夜半の月影」となっている。
→ 紫式部ゆかりの地



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