陸奥宗光ウォーク2 流浪から勉学への道を歩く

福王寺

雲雀山福王寺は、橋本市恋野にある真言宗御室派の寺院である。
中将姫が恋し野の里に建立した三の庵(雲雀山庵、滝谷垣内庵、運び堂で各々庵屋敷跡が残っている)を合併して、宝暦8年(1758年)に建立したといわれる。
本尊は木造阿弥陀如来坐像で橋本市の指定文化財となっている。
また脇侍として持国天、多聞天が安置されており、和歌山県の指定文化財となっている。
阿弥陀如来像は、阿弥陀如来九品印(くぼんいん)のひとつ上品下生(じょうぼんげしょう)(来迎印)を結んでいる。
檜材による寄木造、彫眼、漆箔仕上げの像で、ふくよかな頬部とやや彫りの浅い顔部から静かな落ち着きを感じさせる。像高87.2cm、平安時代末期の作品といわれる。
脇侍の天部立像は、甲を身に着けた憤怒武装形に表現され、仏法とそれに帰依する人々の護法神として信仰される。
この2躰の像はいずれも檜材による一木造りで、持ち物は欠損しているものの当初の美しい彩色文様の一部が残り、保存状態も良い。
像高99.0cm、98.0cmで平安時代中期の作品といわれる。
堂内には、中将姫の位牌(中将姫法如大菩薩)が安置されている。
境内には、葉書の木といわれる「タラヨウ多羅洋」が植えられている。
葉の裏面を傷つけると字が書けることから、郵便局の木として定められており、東京中央郵便局の前などにも植樹されている。
JR和歌山線隅田駅下車徒歩15分。


御霊神社

御霊神社は、奈良県五條市霊安寺町にある神社である。
御霊本宮、四所御霊大明神、宇智郡大宮、御霊さんとも呼ばれている。
祭神は、井上(いのえ)内親王で、南脇社殿に他戸(おさべ)親王、北脇社殿に早良(さわら)親王、別宮に火雷(ほのいかづち)神が祀られている。

神社の縁起によると、井上内親王(717-775)は聖武天皇の皇女として生まれ、11歳で斎王に選ばれ伊勢神宮に出仕した。
その後、都に戻り、白壁王と結婚、他戸親王が生まれ、白壁王が光仁天皇に即位して、皇后となった。
当時、政権を握る藤原百川朝臣は、山部親王を擁立し、逼迫した財政を立て直すため、宝亀3年(773年)巫蠱(ふこ)の罪で井上皇后、他戸皇太子を失脚させた。
宝亀4年(774年)に井上内親王母子を厭魅(えんみ)の罪により、大和国宇智郡没官の宅に流罪、幽閉した。配流の途次に火雷神が誕生した。
宝亀6年(775年)4月25日に、井上内親王(59歳)、他戸親王(15歳)母子が暗殺された。
その後、都に天災が相次ぎ、悪疫が流行したため、朝廷は内親王母子の霊魂の祟りと恐れ、御霊会が営まれた。
延暦19年(800年)葛井王(ふじいおう)が下向し、内親王を皇后に復して、霊安寺を建立した。
御霊神社の創建は不詳であるが、霊安寺建立とともに創祀されたと伝えられる。
その後、四条天皇の時代に宮分けが始まり、400年余りの間に20余社の御霊神社が宇智郡に分祀された。

本殿は、三間社流造、寛永14年(1637年)造営で、奈良県の指定文化財となっている。
また大般若経530巻(満願寺所蔵)は、天永3年(1112年)の奥書があり、国の重要文化財に指定されている。

例祭は、10月22日、23日で、今は10月第4日曜日とその前日に催行される。平成29年(2017年)は御祭神生誕1,300年祭が行われる。
太々神楽祭は、隔年4月第4日曜に行われ、本社伝来の御神楽を奉納し、伝統の「大餅まき」(3石5斗)が行われる。
JR和歌山線五条駅からバスで霊安寺下車、徒歩3分。

五條市立民俗資料館(旧五條代官所長屋門)

五條市立民俗資料館(旧五條代官所長屋門)は、奈良県五條市新町の史跡公園にある。
文久3年(1863年)8月、天誅組の義挙により、現在の五條市役所の位置にあった五條代官所が焼き討ちにあった。
徳川幕府は、元治元年(1864年)10月この地に新たに代官所を立て直したもので、長屋門は代官所の正門の姿を残す歴史的建造物として、天誅組の義挙140年(2003年)の記念として修復改修された。
長屋門は全長40mで、門脇に戸をつけ、その横に見張りのための出格子の窓をつけた番所がある。
現在は、天誅組の資料館として、天誅組行軍図やゆかりの地が紹介され、志士たちの様々な資料が展示されている。
史跡公園は桜の名所として知られ、「明治維新発祥地」の石碑や8620型蒸気機関車(金剛・ハロー号)が展示されている。
JR和歌山線五条駅下車、徒歩5分。



櫻井寺

櫻井寺は、奈良県五條市須恵にある浄土宗の寺院である。
潤生山と号し、本尊は阿弥陀如来である。
慶長9年(1604年)の縁起によると、天慶5年(942年)桜井康成によって創建され、正長元年(1428年)に兵火に遭い焼失した。
その後、天文22年(1593年)郡司平茂知ならびに上総別所知興が堂宇を再建し、新たに鐘を鋳造した。
文久3年(1863年)8月の天誅組挙兵の際の本陣となり、五条新政府ないし五条御役所と称した。
寺内には、代官鈴木源内ら五人の首を載せたと伝える「天誅組首洗いの石手水鉢」があり、「史蹟天誅組本陣趾」の石標が建っている。
また、竹本三郎兵衛ら作の浄瑠璃「艶姿女舞衣」で知られる三勝・半七の比翼塚がある。
JR和歌山線五条駅下車、徒歩7分。国道24号線南側に参拝者用の駐車場がある。


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