名古曽廃寺跡

名古曽廃寺(なこそはいじ)跡は、和歌山県橋本市にある和歌山県指定史跡である。
そこには「護摩石(ごまいし)」と呼ばれる大きな石が残されている。
かつて、祈親(きしん)上人が、この場所で護摩を修したとの言い伝えによりこの名がある。
この石は、長さ223cm、幅133cmで、中央に直径44cmの心柱をうける孔があり、さらにその中に仏舎利をおさめる孔がある。
これは、古代寺院の塔の心柱をすえる心礎と呼ばれる礎石で、平成元年度の発掘調査によって、一辺が約9mの規模を持つ塔跡であることが確認された。
平成2年度の発掘調査によって、塔跡の西側から東西約15m、南北約12mの規模の金堂跡が確認された。
これにより東に塔、西に金堂を配置する法起寺式伽藍配置であったことが明らかになった。
こうした発掘調査に基づき、現地に基壇や礎石が復元され、史跡公園として整備されている。



名古曽墳墓

名古曽廃寺跡の北東約200mにある一里山の丘陵地(名古曽墳墓)は、県史跡に指定されている。
昭和38年(1963年)10月13日、高さ23.1cm・幅27.6cmの三彩骨蔵器(国の重要文化財)が、滑石製石櫃(いしびつ)に収められた状態で出土した。発掘者は、名古曽の梅谷博男氏である。
奈良時代の典型的な薬壺形骨蔵器であり、蓋、身ともに緑、白、褐(かち)の三色の釉がかけられている。
全体に褐色が強いのは胎土に鉄分を含んだあらい土を使い、さらに一般の緑釉陶器等より高温で焼き上げられたからである。
形は中ふくらみの豊満の形で、色彩、光沢の鮮明さと大きさから奈良三彩の一品とされ、わが国考古学・陶芸史上貴重な存在である。
埋納土坑の須恵器から8世紀後半に成人男子火葬骨を葬ったものと考えられている。
実物は、京都国立博物館で保管され、橋本市産業文化会館にレプリカが展示されている。
出土地址には、石碑が建てられている。



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