難波千日前公園

難波千日前公園は、大阪市中央区日本橋5丁目にある。
この辺りは、江戸時代に長町と呼ばれていた。

 長町裏
文楽「夏祭浪花鑑」の長町裏の段は、主人公の団七九郎兵衛がしゅうとの三河屋平次を殺す「泥場」の場面で知られる。
成瀬國晴氏は、当地の少し北側の日本橋三丁目で生まれ、生家は旅人宿であったという。
成瀬氏によると、「長町」は、太閤さん(豊臣秀吉)が大坂城から堺へ通うために開いたもので、南北に長いからそう呼ばれるが、
日本橋五丁目にかつてあった鼬川にかかる橋が名呉橋だったからそれが転化し、名呉町ー名護町ー長町になったともいわれている。
堺筋と道頓堀川が交わる橋が日本橋で、橋の南詰二本目の辻から南が長町である。
元禄時代に、長町一丁目ー九丁目となり寛政7年(1795)に長町一丁目から五丁目までを日本橋通と改め、六丁目から九丁目までは長町の名が残された。
文久3年(1863)の地図では、現在の日本橋三丁目は長町六丁目で、長町八丁目西側に「長町うら」の名がある。
長町うらは、長町六丁目~九丁目にわたる堺筋の東側と西側で、現在の日本橋三丁目から恵美須町までの左右のうら筋までの間という人もいる。→ 江戸の残像 第10回長町裏
(成瀬國晴氏「夏祭浪花鑑・長町裏の段」について 国立文楽劇場 第119回所収)

桂米朝氏は、「米朝ばなし 上方落語地図」で、長町裏について、次のように解説している。
大阪の日本橋筋の裏手に、昔、長町裏と呼ばれる貧乏長屋の並んだ所がありました。(中略)
三月裏、六月裏、釜一つ裏、戸なし長屋---そんな名前の長屋が並んでいる。
”釜一つ”というのは、ご飯をたく釜が四十軒に一つしかなくて、使う順番をくじ引きで決める。
「お前とこ朝メシ食うたか」「まだまだ。この分やと、今日の朝メシはあさっての夕方くらいになる」ーマクラにこんなやりとりがあります。(後略)



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