南宗寺

龍興山南宗寺は、堺市堺区南旅籠町東にある臨済宗大徳寺派の禅宗寺院である。
初めは南宗庵と称して、正覚普通国師の隠棲の地だったが、国師に深く帰依した三好長慶が寄進し、父元長の霊を弔うため、1557年に大林宗套(だいりんそうとう)を迎え寺を創建した。
当初は宿院町南方にあったが、1615年に大坂夏の陣で他の寺院とともに焼失したため、1617年に当時の住職澤庵宗彭(たくあんそうほう)が現在地に再建した。
第二次世界大戦の空襲にも罹災したが、古田織部作といわれる枯山水の庭園、八方睨みの龍の描かれた仏殿、山門、唐門などが残り、本堂、客殿なども再建され、堺市第一の禅寺として多くの参拝客が訪れる。
茶道とのゆかりが深く、境内には、武野紹鷗や千利休一門の供養塔、当時茶の湯の発展に尽くした津田家、半井家一門の墓所がある。
1963年には、利休好みの茶室「実相庵」が再建され、前庭には利休の「向泉寺伝来袈裟形手水鉢」や武野紹鷗が愛したとされる「六地蔵石燈籠」が置かれている。
また、境内には、徳川家康の「墓」があり、家康が大坂夏の陣で真田幸村の奇襲を受けて、後藤又兵衛の槍で突かれて、南宗寺で絶命したとの伝説がある。
元和9年(1623年)7月10日二代将軍秀忠が、つづいて8月18日に三代将軍家光がそれぞれ南宗寺に詣でて、参拝したといわれる。
この元和9年は、7月に秀忠が将軍職を辞し、家光が三代目を継いだ年で、この墓に報告に来たのではないかといわれている。
阪堺電気軌道阪堺線の「御陵前」下車、徒歩5分、参拝者用の無料駐車場がある。




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