念仏寺

念仏寺は、奈良県五條市大津町にある単立寺院である。本尊は阿弥陀如来である。
創建については明確でないが、所蔵品から平安時代末か鎌倉時代には真言寺院として創立していたと考えられている。
安永3年(1774年)9月「大津村鑑明細帳」に「右念仏寺と申者坂合部12ケ村之氏寺ニテ御座候」と記されている。
鬼面4面とともに古来正月の修正会の鬼走り行事が有名である。
JR和歌山線大和二見駅下車、徒歩36分。境内東側に参拝者用駐車場がある。鬼走り行事の時は、上野公園駐車場を利用する。



陀々堂の鬼はしり

念仏寺の本堂は、陀々堂と呼ばれ、毎年1月14日に陀々堂の鬼はしり修正会結願行事(阿弥陀悔過法会)が行われる。
この行事の起源は不詳であるが、行事で使われていた鬼面に文明18年(1486年)の年号があり、そのころにはすでに行事があったことが判明している。
念仏寺は平安時代末期から阪合部郷(さかあいべごう)をまとめる郷寺で、鬼はしりは現在も阪合部地区の人々によって行われている。
鬼はしりは昼と夜の2回行われ、昼の鬼はしりは午後4時から始まり、子ども鬼はしりも続けて行われる。
夜の鬼はしりは、午後9時から始まり、火天(かつて)役による火伏(ひぶせ)の行に続いて、3人の鬼達が燃えさかる松明を振りかざして勇壮に堂内を巡る。松明は重さ60kgの大きなものである。
この鬼は邪悪な鬼ではなく人々に幸福をもたらすために訪れる鬼とされている。
松明の燃え具合で米の作柄を占ったり、本尊後ろの板壁をたたくと肩こりにならないとか、鬼の体に縛りつけられた紙縒り(こより)をもらうと厄除けになるなどの民間信仰がある。
境内には、鬼はしり修行510回記念の石柱も建てられ、中世以来の伝統的な地域社会が行事を伝承しており、民間信仰の変遷を示す貴重な民俗行事として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

北條秀司氏「奇祭巡礼」では、著者と地元の人との次のようなやり取りが記載されており、臨場感に溢れて興味深い。
「陀々推しというのは」
「閻魔王の印であるダンダの印を、諸人の額に押して加持をするという所から出た名称だということですね」(中略)
「この寒度の中で頭から水を浴びるんですから、鬼も楽じゃありませんよ。昔はその吉野川で水垢離をとったという話も聞いていますが」
六日前の一月八日から鬼役は別火にはいる。(中略)いずれも行法に先立って別火潔斎(べっかけっさい)を修する掟が今も守られているという。(中略)
村民がドヤドヤと内陣に乱入した。同時にタンタンタンタンと板を叩く音が深夜の霜気(そうき)を震わせた。
「なんですか、あれは」
「カタタタキがはじまったんです。お厨子の裏の板を牛王杖(ごおうづえ)で叩いているんです。一年中肩が凝らない呪禁(まじない)というんで」(中略)
やがて音がハタとやんだ。
「鬼が本堂へ来たのです。」(中略)
「さあ、はじまりですよ」(中略)
厨子の後方から、大松明が炎々と燃えながら、仏面をつけた一人の手で担ぎ出された。(中略)
「よう燃える。よう燃える。」
「今年も豊作だぞう。」
などという声があちこちに起こる。(中略)
「立派なお面ですねえ」
「立派でしょう。室町時代の作と言われているんですが、この面だけは他所にはない、日本一のお面だと思いますね。十五貫近くもあるそうですよ」(中略)
「豪壮ですねえ」
「豪壮でしょう。他国へ稼ぎに行ってる者も、これだけは見に帰ってくるんです」(後略)

→ 五条市ホームページ



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