念唱寺 

念唱寺は、大阪府東大阪市高井田にある融通念仏宗の寺院である。
寺のある場所は、戦国時代に、石山本願寺に味方して織田信長と高井田の戦いで討死した、足代(あじろ)の豪族小寺美濃守高仲の墓地があり、祠が建てられて、毘沙門天がまつられていたといわれている。
本山大念仏寺発行の「融通念仏宗年表」によると、寛文8年(1668年)に、河州(かしゅう)西高井田村毘沙門堂を寺院化して念唱寺としたことが記されており、それが寺としてのはじまりである。
寺はその後、衰退の時期もあったが、寺の本尊の天蓋には、宝暦12年(1762年)「施主 当寺中興淨恵大徳」また、瓔珞にも明和5年のこととして「再興 淨恵法師」とあり、淨恵(安永9年没)という僧の時代に寺の復興が図られたことがわかる。
本堂の奥中央に、本尊の阿弥陀三尊像が安置され、阿弥陀坐像は、腹前で定印を結ぶ像高75.7cmの一木造りで、全体に後世の彫り直しで相当改変されているが、平安時代の仏像で、両脇侍像は江戸時代前期頃と推定されている。
脇にある厨子内の毘沙門天立像も大きく改変された像で、像高67cm、寄木造り、玉眼嵌入の室町時代頃の作品と推定されている。
念唱寺南側にある公園は、明治5年まで西高井田の村社「八幡神社」が祀られていた。
寺の西側の道は、摂津国(大阪市東成区深江)と河内国(東大阪市高井田)の国境で、平安時代の「日本略記」に、「大同元年(806年)10月に河内国と摂津両国堤を定める。」とあり、このとき定められた国堤の名残と思われる。
寺の前に聖源寺ゆかりの「南無妙法蓮華経」と書かれた石碑がある。
側面に「東足代村、聖源寺享保12年(1722年)」とあり、およそ400年前に建てられ、明治時代に廃寺となった聖源寺の碑である。
近鉄大阪線布施駅下車、徒歩10分。



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