如意輪寺

如意輪寺は、奈良県吉野山にある浄土宗の寺院である。
平安時代前期の延喜年間(901-923)に日蔵道賢が開基したと伝えられ、もとは金峯山寺の塔頭のひとつであった。
南朝を開いた後醍醐天皇は、如意輪寺を勅願寺とし、本堂背後の塔尾山腹には後醍醐天皇塔尾陵がある。
境内には、如意輪堂(本堂)、不動堂、後醍醐天皇御霊殿、多宝塔、宝物殿、鐘楼などがあり、本堂には、本尊の如意輪観世音菩薩が安置されている。
貞和3年(1347年)楠木正行が、四条畷出陣の際に塔尾陵に詣で、下記の辞世の歌を如意輪寺の本堂の扉に鏃で刻み付けた。
「かゑらじと、かねておもへば梓弓、なき数に入る名をぞとどむる」 (もう生きては帰らないので、過去帳に名前を残す)
正行は、この後河内の四条畷に出陣し、北朝の高師直の大軍と戦い、壮烈な最期を遂げた。
その後、如意輪寺の寺勢は衰えたが、慶安3年(1650年)僧鉄牛が再興し、浄土宗に転じている。
宝物殿には、「楠木正行公辞世之扉」、厨子入木像金剛蔵王権現像、吉野曼荼羅等が保存されており、天井には、日本最大の如意輪観世御菩薩画像(ねおがみの観音)が描かれている。
近鉄吉野線ロープウェイ吉野山駅下車、徒歩約40分。参拝者用の駐車場がある。



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