織田秀信公碑 

織田秀信公碑は、和歌山県橋本市の善福寺跡にある。
大正7年4月に建立されたものである。
背面には、後裔 織田信之助、織田亀吉、松山タケノの他、発起人氏名等が記されている。
碑文は次の通り。なお、9行目「舊稱」は、「旧稱」で表示している。

    宮内省主獵官正三位勲四等子爵織田信親題額
岐阜黄門秀信卿小字三法師贈正一位太政大臣織田信長公嫡
孫信忠之長子也天正十年六月本能寺之變卿在岐阜信忠託之
前田玄以玄以扶之以赴清洲羽柴秀吉誅明智光秀也與諸将議
使卿居於安土二叔信雄信孝補佐之十二年秀吉徙卿岐阜分名
字以命秀信累進為参議慶長五年関原之役石田三成誘致卿據
岐阜城八月二十三日徳川家康使武将攻之衆寡不敵遂降焉卿
従近侍十四人就芋洗里常泉坊以住職教了爲戒師薙髪赴高野
山常泉坊實我圓徳寺旧稱也卿在高野害聖派僧下山閉居於相
賀荘向副村娶阪上眞澄女生一男曰恒直慶長十年七月二十七
日薨法諡號大善院殿圭岩貞松大居士家系至今儼存住于學文
路村今茲大正七年四月後裔並有志者相謀将建碑以祈冥福来
請余記其事由乃叙梗概云                 
大正戊午四月     黄門戒師之裔圓徳寺松田宗教撰
                 少僧正瀧本智順書



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