橋本・高野口の文化財探訪 4


真土山

真土山は、和歌山県橋本市にある旧跡である。
真土山は、標高約120m、葛城連峰の最南端にあり、対岸に恋野の山地が迫り、その間を紀ノ川が流れる景勝の地である。
国道24号線の南側に、万葉の道、真土山の石碑がある。
奈良からの旅では、この真土山を越えれば、あさもよし(枕詞)紀の国であり、万葉集では八首の歌が読まれている。
紀伊国名所図会に、真土山の風景が描かれている。
中央に真土山とあり、たくさんの松と桜が描かれた小山となっている。
右に大和側の「真土峠」、「真土川」(落合川)とあり、現在の極楽寺は「薬師」となっている。
上欄には歌が書かれている。
江戸時代の国学者で、松坂の本居宣長、養子の大平の作品である。

多ひなれハ 多れ加者王を 満川ちやま ゆふこえゆきて や登者とふとも
(旅なれば 誰かは我を 真土山 夕越え行きて 宿は問うとも)
雪と見亭 釣やな川まむ 白妙尓 尓保ふ 真土の 山さくら者那
(雪とみて 釣やなつまん 白妙に におう 真土の 山さくら花)
紀州より大和国尓修行せしみぎり 両国のさ可ひ真土山尓てよミ侍(はべ)る
きのく尓の さ可ひをしらハ 真土山 よしの川登も これよりそいふ  遊行地阿

本居宣長は、享和8年(1800年)から2年間、紀州藩を訪れ、紀伊国名所図会の執筆者、伊達千広や加納諸平、紀伊続風土記の仁井田好古等に国学の講義をしている。

飛び越え石 神代の渡し

飛び越え石は、和歌山県橋本市と奈良県五條市の県境にある。
かつての紀伊国と大和国の境にある場所で、落合川を飛び越えるように渡ったことが名前の由来である。
万葉人が紀伊国への往還の際、故郷への郷愁と異国への思いを馳せた場所で、万葉の時代から現代まで姿を変えずに残っている全国でも珍しい場所である。
飛び越え石のすぐ上には、次の万葉歌碑が建てられている。
「いで吾が駒 早く行きこそ 亦打山
 待つらむ妹を 行きてこそ早見む」 作者未詳 (巻12-3154)
【意味】 さあわが駒よ早く行っておくれ、きっと今ごろ私を待っている妹に 早く逢いたいから。
東側には、とびこえ休憩所が作られている。
また奈良県側には、阪合部旧蹟保存会の「神代の渡し」の表示がある。



慈願寺

慈願寺は、和歌山県橋本市にある浄土真宗の寺院である。
山号は旭日山と号し、江戸時代に刊行された紀伊続風土記には、上夙村の項に次のように記されている。
 浄土真宗西派海部郡和歌浦性應寺末 小名 小平(こびら)にあり 堂下除地なり
創建は、照玄法師で、境内には親鸞聖人像があり、古代の大賀蓮が育てられている。
蓮は、株分けされて万葉池や沼に植えられており、6月下旬から7月中旬の朝に見頃をむかえる。



極楽寺

極楽寺は、和歌山県橋本市にある浄土真宗の寺院である。
山号は「真土山」と号し、紀伊続風土記には浄土真宗和州蘇我村(現在の奈良県桜井市蘇我町)の光専寺末と記されているが、
紀伊国名所図会三編巻三には薬師寺と表示されている。
過去帳などによると、最初は草葺建築の小堂であったが、明和3年(1766年)に現在のような五間四面の建物になったとされている。
境内には、橋本市指定文化財となっている宝篋印塔がある。
全高1.76m、緑泥片岩製で室町時代様式の典型的なものである。
塔身四方には梵字種子が陰刻されている。
他に銘文の存在は認められないが、橋本市内小峯寺の尺授年間宝篋印塔と造立年代が相前後すると推定されている。
この宝塔は、もと北方の山上にあったと伝えられる大聖寺跡より、江戸期に村人たちによって現在地に移建護持されたといわれる。
境内の薬師堂内には、薬師如来坐像、木造十一面観音立像、木造毘沙門天立像が安置されており、橋本市の指定文化財となっている。
平成6年(1994年)の三仏の修復で、十一面観音菩薩(157cm)の胎内から、如来立像(33cm)、地藏立像(37cm)の二体の仏像が発見された。



落合不動 落合摩崖仏

落合不動、落合摩崖仏は、和歌山県橋本市真土にある。
国道24号線から落合川を約2㎞遡ったところにあり、道の左側の高台に祠があり不動明王を祀っている。
「紀伊国名所図会」の落合不動の項目に次のように記されている。
「街道の北にあり。堺川の上流真土、平野の間、紀和の両山相迫りて、中間わずかに一帯の流れを通ず。
川中に不動岩とて、不動を彫り付けたる大石あり。近年祈願するもの多く、西岸に不動の小堂を建て、臨泉庵といふ。
此処より望むに東西北の三面、連岨屹立(れんそきつりゅう)して清泉環流し、烏帽子岩、のぞき岩等の奇石其間に踞欹して、奇勝の地なり。」
落合摩崖仏は、川の中の10個の巨石の表裏面に、不動明王像一、観音菩薩像一、天女二、詩文が七面に刻まれている。
不動明王像は江戸期の作で、上記名所図会に記されたものである。
不動明王は、密教で創案されたほとけで、大日如来の教令輪人、つまり如来の教えに背く衆生の悪をくじいて教化するため
大日如来が恐ろしい姿を仮に現したとされ、激しく噴き上げる火焔で汚れを焼き浄め、同時に密教の修行者を擁護する。
向かって右に矜羯羅(こんがら)童子、左に制吨迦(せいたか)童子を従えている。
不動明王の巨石の裏面には、弥勒菩薩像、北隣の巨石の表裏面に「天女像」が彫られている。
道の左上の岸壁にも等身大の不動明王像が彫られている。「昭和一一年教弌四六才」と書かれており、道者佐々木教弌が彫ったものである。
彫られている詩文は次のとおり。
(橋本市真土側)
たのませて たのまれたまふ みほとけを たのまぬ人ぞ たのみかひなき
巡り来て こゝに落合不動 二世のちかいを 守りたまはん
(五條市木ノ原町側)
三界無安 猶如火宅 衆苦充満 其可怖畏
諸行無常 是生滅法 生滅々巳 寂滅為楽
光明遍照 十万世界 念仏衆生 摂取不捨
あふきミて な可むる 阿字乃ふる里を こいこがれつゝ 世越わたる可那(かな)




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