泉涌寺 

泉涌寺は、京都市東山区にある真言宗泉涌寺派の総本山である。
月輪山(がちりんさん)又は東山(とうぜん)と号し、御寺(みてら)、泉山(せんざん)と呼ばれる。
天長年間(824-834)に、弘法大師が庵を結び法輪寺と名付けられた後、仙遊寺(せんゆうじ)と改称された。
建保6年(1218年)、月輪大師俊芿(しゅんじょう)が宇都宮信房から土地の寄進を受け、伽藍を造営した。
その時、寺地の一角から清泉が湧き出したため、寺号を泉涌寺と改めたという。
月輪大師俊芿は、十年余り宋に留学し、二千巻に及ぶ経典を復刻して律宗を基本に、泉涌寺を、天台、真言、禅、浄土の四宗兼学の寺として隆盛させた。
後鳥羽上皇、後堀川天皇の信頼も厚く、仁治3年(1243年)には、四条天皇陵が寺域内に造営された。
以降、皇室からの帰依深く、歴代天皇の山陵がここに営まれ、皇室の香華寺院(菩提所)とされた。
霊明殿には、天智天皇以来の歴代天皇の尊牌が祀られている。
本尊は、釈迦如来、弥勒菩薩、阿弥陀如来の三世仏で、仏殿に安置されている。
毎年3月14日から16日まで仏殿では、堂内いっぱいに、高さ15.1m、幅7.3mの巨大な涅槃図が広げられて涅槃会が行われる。
舎利殿は、御所にあった御殿を改装再建したもので、内陣の金属製宝塔内には仏牙舎利が安置されている。謡曲「舎利」の舞台としても知られる。
楊貴妃観音堂には、2世湛海律師が、建長7年(1255年)に宋から持ち帰った木造聖観音(楊貴妃観音)がおかれている。
以来百年毎に開扉されてきた秘仏であったが、昭和31年(1956年)から参拝者に公開されている。
清少納言は、晩年月輪に住んだとされ、泉涌水屋形の東には、清少納言歌碑が建てられ、百人一首の「夜をこめて 鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ」の歌が刻まれている。
京都市バス泉涌寺道下車、徒歩7分。参拝者用の駐車場がある。(Y.N)



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