曽我物語供養塔

曽我兄弟供養塔は、和歌山県高野山の奥の院にある。
奥の院の18町石の東側、法明上人供養塔の西側奥にある。
曽我兄弟は、鎌倉時代初期の武人で、父の仇を討ったことで名高い。
供養塔は3基あり、中央が父親の河津三郎祐泰(かわづさぶろうすけやす)で、両側に兄の十郎祐成(すけなり)(1172-93)、弟の五郎時致(ときむね)(1174-93)の五輪塔がある。
安元2年(1176年)伊豆奥野の狩りの帰り道、河津三郎は所領争いをしていた一族の武士工藤祐経(すけつね)の刺客に殺された。
その後、母は曽我祐信(すけのぶ)に再嫁したので、兄弟は曽我氏を称した。
建久4年(1193年)5月28日将軍源頼朝が催した富士野の巻狩りで、兄弟は工藤祐経を殺して父の仇を討った。
その後、兄の十郎は、新田忠常に討たれ、翌日弟の五郎も捕えられ殺された。
艱難辛苦の末に敵の工藤祐経を討ち果たした事件は、人々の同情と共感を呼んで、後の世に能や歌舞伎でも演じられた。
曽我物語や、吾妻鑑で兄弟の敵討ちが描かれ、赤穂浪士の討ち入り、剣豪荒木又右衛門の活躍で知られる伊賀上野鍵屋ノ辻の仇討ちと並ぶ日本三大敵討ちの一つである。
南海高野線高野山駅からバスで、奥の院口下車、徒歩5分。


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