陶邑窯跡群 陶器山2号窯

陶邑(すえむら)窯跡群 陶器山2号窯は、大阪府大阪狭山市にある。
5世紀頃、大陸から各種の新しい手工業の技術が日本に伝わり、画工、織工、通訳などが渡来した。
その中で須恵器を作る技術も伝来し、5世紀後半から10世紀まで泉北丘陵を中心に生産された。
須恵器は硬質の土器で、高温の還元炎で焼くため、灰色をしており、現代の陶磁器の源流をなすものである。
傾斜地にトンネル式の穴窯(登り窯)を築き、1000℃前後の高温で一度に大量の須恵器を焼成する。
縄文土器など集落の中で自給自足的に生産されていた土器と異なり、須恵器は専門の集団により生産され、商品として流通した。
窯は泉北丘陵一帯に900~1000基あり、かつての地名「茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)」(日本書紀)から、これらは陶邑窯跡群と呼ばれている。
陶器山2号窯は、丘陵の尾根に近い西向き斜面にあり、南東から北西方向へ大阪狭山市と堺市の市境をまたぐように、長さ8m以上、幅約2.5mの大きさの窯が築かれていた。
のちに天野街道が尾根上を通り、歩道として整備されていく過程で窯跡は大きく削られた。
平成23年(2011年)の発掘調査で、窯の奥壁近くの焼成床面が部分的に見つかり、蓋杯、高杯、壺、甕などの須恵器の破片が出土している。
須恵器の形式から、この窯が5世紀末頃に操業していたことが判明した。



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