崇源院(徳川秀忠夫人)供養塔

崇源院(徳川秀忠夫人)供養塔は、和歌山県高野山の奥の院にある。
奥の院墓石群の中で最も大きい(高さ6.6m)ことから、「一番石」の名で広く知られている。
この供養塔は、徳川秀忠の次男駿河大納言忠長が、母崇源院(江姫)(1573年-1626年)の追善供養のため、寛永4年(1627年)に建立したものである。

地輪及び台石には、次のように刻されている。
(表面)
   旹寛永四年丁卯九月十五日
   崇源院殿
(梵字)一品太夫人
   昌譽大禅定尼
  奉為先妣追善
    駿河大納言源忠長造立
(裏面)
   奉行 天野傳右衛門尉藤原清宗
       河合助之助 藤原重俊
 御宿坊 大徳院住持 宥雅
 梵漢筆者 大聖院  長盛
(台石)
 下奉行
   池谷源左衛門尉
   赤澤治太夫
   山田勘太郎
   高原六左衛門尉
   加藤七郎兵衛尉
 石作 
   泉州黒田村甚左衛門

江姫は、浅井長政と織田信長の妹お市の方の末娘で、豊臣秀吉の側室淀君の妹である。
お江の最初の婚姻相手は、佐治一成で、豊臣秀吉により離縁させられた。
2度目の結婚相手は、秀吉の甥の豊臣秀勝であったが死別した。
その後、徳川二代将軍秀忠の正室として、戦国時代から江戸時代にかけて波乱万丈の人生を送り、寛永3年(1626年)に享年54で死去した。
お江は、死後江戸の増上寺で荼毘に付されて埋葬されたが、その荼毘の火は、奥の院燈籠堂の火が使われた。
平成23年のNHK大河ドラマ「江」のヒロインとしてとりあげられている。
菩提所は、高野山の蓮花院で、和歌山県の指定史跡となっている。
当地の供養塔墓域内北東隅には、4基の徳川家関係の供養塔がある。→ 崇源院墓域内供養塔
奥の院21町石付近には、源(徳川)秀忠公御台所六角宝塔(崇源院殿墓)がある。
京都市左京区の金戒光明寺には、春日局が建立したお江供養塔駿河大納言忠長供養塔がある。
京都市東山区の養源院には、江姫の五女 東福門院和子が建立した崇源院宝篋印塔がある。

福田千鶴氏「江の生涯」では、江の戒名は「崇源院殿昌誉和興仁清」で、一般に「すうげんいん」(国史大辞典ほか)と読まれているが、
春日局が著したと推定される「東照大権現祝詞」のなかで「そうげんいんさま」と読まれ、「寛永諸家系図伝」仮名本(寛永20年(1643)編纂)において、「そうげんゐんでん」の読み仮名がつけられていることから、
同時代的には「そうげんいん」と称されていたとするのが正しい、としている。

南海高野線高野山駅からバスで奥の院前下車、徒歩約15分。中の橋駐車場を利用できる。 → 高野山の浅井三姉妹ゆかりの地



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