聖徳太子廟 磯長墓

聖徳太子廟(磯長墓)は、大阪府太子町の叡福寺北側にある。
磯長谷北側斜面の自然地形を利用して築かれた円墳である。
東西52m、南北42m、高さ10mで、東西に長い楕円状をしている。
内部は両袖式、切石造りの横穴式石室で、明治時代初期までは石室内部に入ることが出来た。
江戸時代や明治時代初期の記録によると、羨道は長さ約7.3m、玄室は間口約3m、奥行き約5.5m、高さ約3mである。
玄室の一番奥に石棺、手前左右に乾漆棺が置かれ、乾漆棺は断片だけが残っていた。
奥の棺は、聖徳太子の母で、用明天皇皇后の穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后、左は太子の妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)、右が聖徳太子の棺とされている。
三人が一所に葬られているところから、三骨一廟(さんこついちびょう)と呼ばれ、墓前では空海、親鸞、良忍、一遍、日蓮などの諸賢聖のほか、名僧、知識の参籠が多く行われた。
墳墓の周囲は、上下(内外)2段の結界石が取り巻いており、内側のものは弘仁年間に空海が作ったと伝えられている。外側は享保19年(1734年)に築造されたもので、「浄土三部経」の経文が刻まれている。
近鉄長野線貴志駅または近鉄南大阪線上ノ太子駅から、バスで「太子前」下車徒歩3分。参拝者用の無料駐車場がある。



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