竹本義太夫墓所

竹本義太夫墓所は、大阪市天王寺区大道の超願寺にある。
竹本義太夫(1651-1714)は、江戸時代の浄瑠璃の大夫で、義太夫節の創始者である。
本名は五郎兵衛といい、天王寺村(天王寺区茶臼山町堀越神社付近)の百姓家に生まれた。
子供の頃から歌うことが好きで、当時人気の浄瑠璃語り井上播磨椽の弟子である清水理太夫に入門し稽古を始めたが、これらの浄瑠璃節に満足せず、昔からの謡曲や、文彌節、その他の唄の長所を取って独特の音節をつけた義太夫節を創出した。
そして、1684年に道頓堀で竹本座という新派浄瑠璃人形芝居を始めた。近松門左衛門が竹本座の脚本家となり、1703年に上演した「曾根崎心中」は、空前の大当たりとなった。
51歳の時に、朝廷に召されて義太夫節を謡い、筑後椽の號と、名前を藤原博教とする宣旨を賜った。
この墓所のある土塔山超願寺(浄土真宗本願寺派)は、614年聖徳太子の草創と伝えられ、太子が蘇我馬子の末子慧観を住まわせたとされている。
慧観は、太子から与えられた経論、仏舎利を納めるため三重塔を建てたが、舒明天皇の時代に付近で火災があったので、類焼を防ぐため泥土でこの塔を塗りこめた。
このため、人々はそれを土塔と呼んで、後に寺の山号となり、この地を土塔村と呼ばれることになったと言われている。
大阪市営地下鉄御堂筋線及び谷町線天王寺駅下車徒歩5分。
生國魂神社境内浄瑠璃神社には、竹本義太夫が人形芝居七功神と共に祀られている。(Y.N)



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