天樹院千姫供養塔

天樹院千姫供養塔は、和歌山県高野山奥の院にある。
千姫(1597-1666)は、徳川二代将軍秀忠の長女で、母は正室浅井氏お江(崇源院)である。
慶長8年(1603年)7歳の時に、11歳の豊臣秀頼に嫁した。
元和元年(1615年)5月の大坂夏の陣で、大坂城落城の前夜に坂崎出羽守直盛に救い出され、江戸に送られた。
翌年、伊勢桑名城主本多忠政の長子忠刻(ただとき)に再嫁し、忠政が姫路に転封となったので、夫婦で姫路城に移った。
寛永3年(1626年)本多忠刻が病没したので、千姫は江戸城に戻り、落飾して天樹院と称し、竹橋御殿ですごし、墓石にあるように、寛文6年(1666年)に没した。(享年70歳)
五輪塔は、母親の崇源院(徳川秀忠夫人)供養塔の西側に建てられている。
地輪正面には、次のように刻されている。
 大相國秀忠公御息女也
 天樹院殿栄誉
 源法松山禅定尼
 寛文六丙午天二月六日
千姫の墓所は、東京都小石川傳通院(伝通院)、茨城県常総市天樹院弘経寺、京都市知恩院にある。
大坂城脱出の際、徳川家康は姫を救出したものに千姫を与えると言っていたとして、再嫁のときに坂崎出羽守直盛が騒動を起こし殺害された事件は、よく知られている。
千姫は、大坂城落城の際、豊臣秀頼と側室の間に生まれた天秀尼を助け、天秀尼は鎌倉東慶院で尼僧となり生涯を終えた。
南海高野線高野山駅からバスで奥の院前下車、徒歩約15分。中の橋駐車場を利用できる。→ 周辺石塔の案内




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