豊臣秀次の墓

豊臣秀次の墓は、和歌山県高野町の光臺院にある。
豊臣秀次(1568-1595)は、文禄4年(1595年)7月13日、金剛峯寺の柳の間で、四人の近習と自刃し、遺骸は高野山に葬られた。
高野春秋編年輯録巻十三によると、山本主殿、山本三十郎、不破萬作、玄隆西堂が自決し、秀次が介錯した。
その後、雀部(ささべ)淡路守重政の介錯で秀次が自裁した。
秀次及び殉死した五人の遺骸は、奥の院に葬られたと記されている。
秀次の首は伏見に運ばれ、秀吉に見せられた。
同年8月2日に京都三条河原で、秀次の妻妾や遺児が豊臣秀吉の命で殺された。
京都市の瑞泉寺には、秀次と処刑された一族の墓所がある。

光臺院の拝観は、お参り客と宿泊客に限られている。
南海高野線高野山駅からバスで、警察前下車徒歩3分。→ 瑞龍寺(村雲御所)



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