FMトラウツ先生墓所

FMトラウツ先生墓所は、和歌山県高野山奥の院にある。
奥の院御廟橋の手前西側にある「ドクトルFMトラウツ先生 文学博士 鈴木大拙先生 鈴木ビアトリス先生 墓所入口」と記した案内石柱から、約50m登った所に、FMトラウツ先生の建立した逆修の五輪塔がある。
五輪塔の地輪には、次のように記されている。

(北面)
一千八百七十七年
六月三日於 独国
〇〇ン誕生
(梵字ア) エフエム
       トラウツ
一千九百三十三年九月廿八日
昭和八年九月廿八日
(南面)
F.M.Trautz
獨逸 架け橋の絵 日本
(東面)
菩提所
 親王院

トラウツTrautz, Friedrich Maximilian)(1877-1954)は、187763日ドイツのカールスルーエで生まれた。
ドイツ陸軍に入り、野戦砲兵隊中尉としてバーデンに勤務した。1909年休暇で日本に来遊した。第一次世界大戦が勃発した際には陸軍大尉として西部戦線に参軍した。
戦後、日本研究を志し、『日本の仏舎利塔』の研究によりベルリン大学から学位を取得した。
ベルリン民族学博物館の研究助手を経て、1926年東海道の研究で教授資格を得た。次いで、ベルリンの日本学会主事に就任した。
1930年から1938年まで日本に滞在し、1934年から4ヶ年にわたって京都ドイツ文化研究所主任を務め日独文化交流に貢献した。1938年帰国。
195464日に故郷のカールスルーエで死去した。遺言により高野山に彼の遺骨は埋葬された。さらに、奈良大安寺にも分骨された。
鎌倉市東慶寺にある鈴木大拙墓所の隣にも墓碑が建立されている。
(「来日西洋人名事典」参照)
奈良日独協会のwebsiteには、上記の案内石柱を建立した河野清晃氏(奈良大安寺貫主 奈良日独協会会長)とトラウツ先生の写真が掲載されている。



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