阿部野神社

阿部野神社は、大阪市阿倍野区北畠にある神社である。
北畠親房(ちかふさ)と不遇の死を遂げた北畠顕家(あきいえ)の父子を祀っている。
北畠親房(1293-1354)は、鎌倉及び南北朝時代の公卿で、後醍醐天皇に抜擢され、32歳で大納言となった。
天皇政治の中枢で活躍し、吉田定房、万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)(藤原宣房)とともに「後の三房(さんぼう)」と呼ばれた。
後醍醐天皇の崩御後、後村上天皇の帝王学の書として、常陸国小田城(現茨木県つくば市)で、「神皇正統記」を執筆した。
常陸から吉野に移った後は、南朝の中心となったが、楠木正行の戦死により、賀名生に移り、病気で死去した。
北畠顕家(1318-1338)は、南北朝時代の公卿、武将で、親房の長子として、ともに後醍醐天皇に仕えた。
建武新政とともに16歳で陸奥守(むつのかみ)となり、義良(のりよし)親王を奉じて父の親房と共に奥州平定にあたった。
足利尊氏が後醍醐天皇側と対立したため、奥州から都をめざして戦ったが、建武4年(1337)和泉国石津原で戦死した。
当地は、北畠顕家が足利軍と戦った古戦場で、明治15年1月、阿部野神社と号して創立され、明治23年に鎮座祭が挙行され、別格官幣社となった。
現社殿は、戦災で焼失した後、昭和43年に再建されたものである。境内には、北畠顕家公像、南部師行を祀った勲之宮などがある。
南海上町線北畠駅下車、徒歩10分。参拝者用の駐車場がある。


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