油日神社は、滋賀県甲賀市甲賀町の油日岳の西麓に鎮座している。
古くは油日岳を神体山とし、社伝では頂上に大明神が降臨して、油の火のような光明を発したことから油日の名がつけられたとされ、油日岳(694m)の頂上には、岳(だけ)大明神(油日大明神、通山大明神)とよばれる奥宮が祀られている。
祭神は、油日神(あぶらひのかみ)で、記紀にもみえず、また油日の地名も全国に見当たらず、この地にのみ信仰されてきた神である。相殿(あいどの)には、罔象女命(みずはのめのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)が祀られている。
平安時代の歴史書「日本三大実録」によると、元慶元年(877)の条に「油日神」に従五位下の神階が授けられた記事がある。
室町時代に作成された「油日大明神縁起」には、聖徳太子によって勧請された由来が説かれ、「聖徳太子絵伝」をはじめ、太子の本地である如意輪観音の懸仏(かけぼとけ)や「聖徳太子絵伝」が所蔵されている。
中世には甲賀武士たちが聖徳太子を軍神として崇めるとともに、「甲賀の総社」として信仰されていた。
国の史跡である境内には、南北に本殿、拝殿、楼門が建ち並び、楼門の左右からは境内を囲むように廻廊が延びている。いずれも国の重要文化財に指定されている。
油日神社の例大祭は、5月1日に行われる「油日祭」で、とくに5年毎に行われる頭殿(とうどう)(殿さま)行列は、一般に「奴振(やっこふり)」(県選択無形民俗文化財)と呼ばれている。
社伝によると、平安末期に円融天皇の勅命によって始められ、甲賀の豪傑五家が毎年交代で頭殿(祭主)を務めたという。頭殿を先頭にお供(長持奴、挟箱持、毛槍奴)約60人がそれぞれの役を演じながら本殿に向かう。
「奴振」とともに大踊と小踊が行われる。大踊は雨乞いを意味し、小踊はその返礼のときのもので、踊の種類はホンデン踊、笠踊、花笠踊などに分かれている。これは「油日の太鼓踊」として国選択無形民俗文化財となっている。
楼門右手奥には甲賀歴史民俗資料館がある。
甲賀武士(甲賀忍者)の資料や甲賀市の地場産業である製薬業と家庭薬配置販売業についての資料、油日神社社殿改修時の棟札などが展示されている。
油日神社に伝わる永正5年(1508)銘がある福太夫面(ふくだゆうめん)、墨書から福太夫面と同じ作者によって作成されたと考えられる「ずずい子」と呼ばれる木製人形がある。→ 甲賀歴史民俗資料館
甲賀歴史民俗資料館の見学は、事前の予約が必要となっている。
境内では、映画、ドラマのロケも行われている。
JR草津線油日駅からバスで油日会館下車、徒歩3分。参拝者用の駐車場がある。
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