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霰松原荒神社
天水分豊浦命社社号標石は、大阪市住吉区にある。
霰松原荒神社の前にある説明板には、次のように記されている。
大阪市指定文化財 大阪市教育委員会
天水分豊浦命社社号標石
[指定の種別] 有形文化財 歴史資料
[指定年月日] 平成一七年一月七日
この石碑は、もと住之江区の安立にあった天水分豊浦命神社(あめのみまくりとようらのみことじんじゃ)が、平安時代の「延喜式(えんぎしき)」という書物に登場する式内社(しきないしゃ)という格式のある神社のひとつ、天水分豊浦命社(あめのみまくりとようらのみことしゃ)と考えられることを示しています。
江戸時代中期の学者、並河誠所(なびかせいしょ)は、当時すでによくわからなくなっていた近畿地方の式内社の場所を研究し、式内社と考えられる神社に目印となる石碑を建てることを計画しました。
一七三六年頃に、幕府の協力をえて、誠所の弟子が大阪周辺に二〇基の石碑を建てました。うち四基が大阪市内にあり、そのひとつがこの石碑です。
正面には「天水分豊浦命社」の社号が、向かって右側には「安立町(あんりゅうまち)」と場所が刻まれています。
台石には「管廣房(すがひろふさ)建てる」とあり、石碑を建てるための資金を出したと考えられる人物の名を記しています。
明治四〇年(一九〇七)に天水分豊浦命社が、この止止呂支比賣命神社(とどろきひめみこと)に遷御(せんぎょ)されたため、石碑もこの地に移りました。
霰(あられ)松原荒神社の祭神は、天水分命(あめのみまくりのみこと)、奥津彦命(おくつひこのみこと)、奥津姫命(おくつひめのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)である。
天水分命、奥津彦命、奥津姫命を三宝荒神と呼び、かまど神として祀られている。

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