有馬山温泉寺

有馬山温泉寺は、神戸市北区有馬町にある黄檗宗の寺院である。
もとは常喜山温泉寺と号し、京都智積院末の真言宗新義派の寺院であったが、火災や廃仏毀釈で衰微し、
本堂薬師堂東にあり奥院であった黄檗宗清涼院が寺名を継いで現在に至っている。
神亀元年(724)、行基が有馬温泉を開いたとき、自ら薬師如来像を作り堂を建てて安置したのが始まりと伝えられている。
承徳元年(1097)の洪水で荒廃していたのを、建久2年(1191)大和吉野高原寺の僧仁西が復興した。
天正4年(1576)火災にあったが、羽柴秀吉によって堂宇が改修され、秀吉の正室北政所によって薬師堂が再建された。

本堂前には、二基の石造五輪塔(神戸市指定有形文化財)がある。
左塔は平清盛塔、右塔は慈心房尊恵(じしんぼうそんえ)の塔と伝えられている。
尊恵は、承安二年(1172)12月、清澄寺に住んでいた時、閻魔王の法華経会に招かれ、珍しい見聞をした。
閻魔王と語らっていると、大和田泊の修築に千人の持経者(法華信者)を招いて千僧供養を行う清盛のことが話題となった。
閻魔王は、尊恵に次のように明かした。
「清盛は普通の人ではない。慈恵(じえ)僧正(天台宗の中興の祖、良源。通称は元三(がんさん)大師の生まれ変わりだ。毎日三度偈をとなえて称賛している」
生き返った尊恵はこのことを清盛に伝えると、清盛は大変喜んだという。
また尊恵は閻魔庁に四度招かれたが、最後の安元元年(1175)には、翌年の法華経会のため如法経(法華経)などを五重の箱に納めて、「日本無双の勝地で閻魔王宮の東門にあたる有馬・温泉山の如法堂」に安置するよう閻魔王から勧められている。
これらは「冥途蘇生記」に基づいた説話である。建長6年(1254)の「古今著聞集」や「平家物語」などにも取り入れられた。
本堂前の二基の五輪塔は、この説話が全国に広まった鎌倉時代に清盛塔、尊恵塔として、寺や篤信者によって建立されたと考えられている。

当寺には、行基上人、仁西上人の像が祀られており、1月2日の入初式には温泉の初湯で沐浴される。
本尊薬師如来眷属の十二神将の一つである波夷羅大将立像は、室町時代の作で国の重要文化財に指定されている。
黒漆厨子(こくしつずし)は、黒漆塗の小厨子(仏像や経巻を安置する仏具)で、内部は極彩色の諸仏、両扉には文殊。普賢菩薩と四天王の図が描かれており、国の重要文化財に指定されている。


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