国指定史跡 有岡城跡は、兵庫県伊丹市にある。
伊丹氏が、この場所に城を築いたのは、鎌倉時代末期頃のことである。
はじめは居館として建てられたが、戦国時代を経て次第に堅固な構えになっていった。
天正2年(1574)、織田信長の武将 荒木村重が伊丹城を攻め、伊丹氏を追放して入城した。
村重は、伊丹台地を利用して、最東端に城(主郭部)、その西に城下町(侍町、町人町)をもつ惣構えの城を整備し、信長の命で「有岡城」と改名した。
イエズス会宣教師のルイスフロイスは、「日本史」で、「みごとな城である」と記している。
その後、荒木村重は摂津守として信長配下で活躍したが、天正6年(1578)信長から離反し、石山本願寺と盟約を結んだ。
織田信長は、村重説得のため、明智光秀ほか近臣を有岡城に遣わしたが、村重の決意は変わらなかったという。
天正6年から7年にかけての一年近い信長勢との戦いの末、有岡城は落城し、戦災で城と侍町は焼失した。
荒木村重は、落城前に単身脱出して尼崎城から毛利に逃れたが、一族郎党は京都六条河原や尼崎の七松で処刑された。
その後、村重は、茶人道薫(どうくん)として豊臣秀吉に仕え、利休七哲の一人となった。
有岡城跡は、「古城山」等と呼ばれたが、明治時代の鉄道建設等で、城跡の大半が削平された。
昭和50年から発掘調査が実施され、昭和54年に国史跡に指定されている。
城跡には、礎石建物跡、井戸跡、懐古圓石碑、沓脱石などがある。
JR東西線伊丹駅下車、徒歩2分。
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