備後福山水野家供養塔

備後福山水野家供養塔は、和歌山県高野山奥の院30町石北にある。
南側は、初代備後福山藩主 水野勝成(徳勝院)供養塔、北側は勝成の側室お登久(香源院)供養塔である。
いずれも第2代藩主 水野勝俊が、父母の菩提のために建立したものである。
水野勝成(1564-1651)は、永禄7年(1564)に水野忠重の長男として生まれ、父に勘当され諸国を回った後、徳川家康のとりなしで、三河(愛知県)刈谷の遺領を継いだ。
大坂の陣で功を挙げ、大和郡山6万石藩主となり、元和5年(1619)備後(広島県)福山藩10万石の藩主となった。
慶安4年3月15日福山において死去した(88歳)。参康宗休徳勝院と号して、賢忠寺に葬られた。
勝俊の時代に、神道の禮をもって福山の城外八幡の社地に徳勝霊社(後に聡敏明神)として祀られた。



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