敏達天皇陵(太子西山古墳/奥城古墳)

敏達天皇陵(太子西山古墳/奥城古墳(おくつきこふん))は、大阪府太子町にある。
宮内庁が管理しており、陵前の案内板には、敏達天皇河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)、欽明天皇皇后石姫皇女磯長原陵(しながはらのみささぎ)と記されている。
南北のびる丘陵鞍部に位置する北西向きの前方後円墳である。→ MY古代史探検
墳丘全長113m、前方部幅67m、後円部径58m、二段築成の古墳で、天皇陵としては最後の前方後円墳と言われている。

敏達天皇(?- 585)は、記紀系譜による第30代天皇で、在位は、572年から585年の14年間である。
渟名倉太珠敷(ぬなくらふとだましき)(沼名倉太玉敷)天皇(命(みこと))、譯語田(おさた)天皇ともいう。
欽明天皇の第二子で母は石姫(いしひめ)皇后である。
父の欽明天皇を継いで572年に即位し、3年後に大和の磐余(いわれ)に訳語田(他田)幸玉宮(おさだのさきたまみや)を営み、
初め息長真手王の女の広姫を皇后として、押坂彦人大兄皇子らを生み、皇后の死後、異母妹の豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)尊(推古天皇)を皇后として、竹田皇子、尾張皇子らを生んだ。



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