佛光院

佛光院は、京都市山科区にある真言宗山科派の寺院である。
当院は、昭和26年(1951年)にかつて勧修寺(かしゅうじ)の塔頭があったと伝えられる由緒ある地に、大石順教尼によって再建建立された。
順教尼は、もと大阪堀江の名妓で妻吉といったが、17歳の時(1905年)に養父中川万次郎六人斬り事件の巻き添えとなって、両腕を斬り落とされた。
しかし、数々の苦難を乗り越え、昭和2年(1927年)高野山天徳院金山大僧正を師として出家し、順教と改めた。
両手の無いままに口に筆をくわえて書画を描き、日展に入選、また日本人として初めて世界身体障害者芸術家協会の会員に選ばれた。
この佛光院にあって、順教尼は全国身体障害者の心の母と慕われてきたが、昭和43年(1968年)に80歳で入寂した。
和歌山県九度山町には、大石順教尼の記念館が作られている。


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