文禄堤

文禄堤は、大阪府守口市にある。

文禄堤は、文禄3年(1594)に伏見城を築いた豊臣秀吉が、京都と大坂を最短距離で結び、かつ、降雨量が多いときなどにも使用可能な陸路が必要となったことから、
毛利輝元、小早川隆景、吉川広家の三家に淀川の改修を命じて文禄5年(1596)に完成させ、堤の上に京街道(大坂街道)を通した。

築造当初の堤の長さは、現在の枚方市から大阪市長柄までの約27kmと伝わっており、堤防上の道は、京へ向かうときは京街道、大坂へ向かうときは大坂街道と呼ばれた。
しかしながら、淀川の改修や市街化の進展により、その大部分は姿を消し、現在では守口市のみで、かつての面影をしのぶことができる堤(約720m)が保存されている。

江戸時代に、京街道(大坂街道)は、東海道(江戸日本橋から大坂高麗橋)の一部となり、守口には東海道五十七次(品川宿から守口宿)の最後の宿場である守口宿が置かれた。
守口宿は東海道と奈良街道(清滝街道・守口街道)の分岐点で、問屋場、本陣が設けられたほか、多くの旅籠や茶屋が立ち並び賑わったとされ、当時の面影は現在もこの文禄堤上の街並みに残されている。

守口宿には他の宿場と同様に「高札場」が設けられ、幕府が定めた御法度や掟などを墨書きした木版が掲げられていた。当時の高札場は、現在の国道一号線八島交差点付近に設けられていたが、現在はその姿を消している。
文禄堤の街道沿いには、再建された高札場が設けられている。




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