蕪村生誕地・句碑

蕪村生誕地・句碑は、大阪市都島区毛馬町の毛馬閘門東側の淀川堤防上にある。
昭和28年(1953)に蕪村句碑が近くに建てられたが、淀川改修工事で一時的に取り除かれた。
淀川改修百周年記念事業の一つとして、句碑の復活が取り上げられて地元有志で蕪村顕彰碑保存会が結成され、建設省(当時)、大阪府、大阪市を加えた四者で、昭和53年(1978)2月に句碑(「春風や堤長うして家遠し」)が建立された。
句碑横には、蕪村礼賛と題した石板がある。
蕪村生誕地の碑は、昭和54年(1979)3月に大阪市が建立した。
初代の昭和28年の句碑は、国土交通省毛馬出張所敷地内の桜の木の下にある。

蕪村(1716-1783)は、江戸時代中期の俳人、文人、画家である。
姓は谷口、のち与謝(よさ)と改めた。俳号は宰町、落日庵、紫狐庵、夜半亭など、画号も四明、朝滄(ちょうそう)、長庚、春星など数多い。
享保元年(1716)摂津国東成郡(ひがしなりごおり)毛馬村(現大阪市都島区)で生まれた。
17、8歳の時に毛馬を出て江戸に下り、早野巴人(はじん)に俳諧を学んだ後、俳諧と絵画の両面で多面的な才能を発揮した。
松尾芭蕉、小林一茶とともに江戸の三大俳人として知られ、「なの花や月は東に日は西に」「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」などの俳句を詠んでいる。→ 蕪村公園
天明3年(1783)に「しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり」の辞世を残し、京都で没した。(享年68歳)
墓所は、芭蕉庵のある京都市左京区の金福寺(こんぷくじ)にある。→ なにわ大坂をつくった100人



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