豊前小倉小笠原家供養塔 徳川家康養女 亀姫供養塔 

豊前小倉小笠原家供養塔は、和歌山県高野山奥の院22町石南東にある。
数取り地蔵(授籌地蔵)横の参道を、肥前鍋島家供養塔に向け約30m登った東側にある。
大型五輪塔が一基建立されており、地輪には次のように刻されている。(木下浩良氏「戦国武将と高野山奥の院」)
施主孝子小笠原信濃守長次
      奉爲圓照院殿
(梵字)
      花陽宗月大姉
寛永二十癸未年十月三日

施主の小笠原長次は、江戸時代の大名で、小笠原忠脩(ただなか)と圓照院(亀姫)の間に生まれた。
父の忠脩が戦死したため、叔父の小笠原右近大夫忠真のもとで養育された。
播磨国龍野藩主、のち豊前国中津藩主を務めている。中津藩は、藩庁が小倉城に置かれたこともあり、小倉藩とも呼ばれる。
圓照院(亀姫)(1597-1643)は、父姫路藩主本多忠政と母松平信康の次女熊姫の次女として生まれた。
曾祖父徳川家康の養女となって、小笠原忠脩に嫁いだが、忠脩が慶長20年(1615)の大坂夏の陣で戦死したため、家康の命により、元和2年(1616)忠脩の異母弟である小倉藩主小笠原忠真に再嫁した。



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