千早城跡

千早城跡は、大阪府千早赤阪村にある国史跡である。
千早城は、元弘2年(1332)楠木正成の挙兵時、楠木城(上赤阪城)とともに中心的山城として築城された。
「太平記」の記述によると、寄手は数百万期、身方は僅かに千騎足らずであったにもかかわらず、
冷静沈着の楠木正成は、その武略と智謀に富んだ奇策で百日間の籠城戦に耐えた。
この城は、鎌倉幕府の討幕、そして建武の中興の原動力となった難攻不落の名城である。
標高は、673mで、城の南(妙見谷)、北(風呂谷)、西(大手口から登山口)の三方は急斜面で、天然の要害となっている。
登山口から約560段の石段を登ると、第四郭(四の丸)があり、そこから主郭(本丸)までの奥行きは約300mの規模である。
昭和9年(1934)3月に、上赤阪城(国史跡名、楠木城跡)、下赤坂城(国史跡名、赤阪城跡)と共に国史跡に指定された。
南海高野線河内長野駅からバスで、金剛登山口下車、徒歩15分。バス停付近に有料駐車場がある。


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