法界山超善寺は、堺市堺区にある浄土宗の寺院である。
天正年間(1573-1591)住蓮社存誉貞公上人が開基した。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣の時に、第二世の念蓮社専誉は弟子とともに大和に逃れ、塔頭長泉庵の浄専は、本尊阿弥陀如来を背負って河内大ケ塚にある末寺の善性寺に逃れた。
そして現在地の堺区熊野町東5丁に専誉が再建したものである。
堺市と友好都市提携を結んでいる中国連雲港市の王宏喜美術協会主席揮毫の本堂襖絵・屏風「三国聖賢図」12面、田室幾郎画伯の「現代地獄極楽画」2面が所蔵されている。
境内には超善寺井戸跡の石碑が建てられている。
超善寺では、「水超」と呼んでいたが、秀吉は「泉勝水」、家康は「湛泉水」と名付けたと伝わる。
堺一番の名水と評判で宅酒造や辰巳酒造の酒造りにも使用されていた。
井戸は、現在の熊野小学校の校庭にあった。今は井桁のみが境内に保存されている。
春には樹齢30年以上の桜30本が境内一面に咲き、堺屈指の桜の名所として知られている。
南海高野線堺東駅下車徒歩7分。