出羽庄内 酒井家供養塔

出羽庄内 酒井家供養塔は、和歌山県高野山奥の院25町石北東にある。
奥の院中の橋の手前約100mの参道北側に位置している。
史跡金剛峯寺境内(奥院地区)大名墓総合調査報告書によると、大型五輪塔2基、中型五輪塔11基、小型五輪塔1基、屋根付墓標2基、方柱墓標1基がある。
2基の大型五輪塔は、中の橋側が酒井家次供養塔、一の橋側が酒井直次供養塔である。
酒井家次(1564-1618)は、江戸時代前期の大名で、酒井忠次と松平清康の女碓井姫の長男として生まれた。
徳川家康の従弟にあたり、幼少から家康に仕え、天正3年(1575)長篠の戦いに功があり、その後、父の跡を継ぎ吉田城城主、下総国碓井城城主となった。
関ヶ原の合戦後、慶長9年(1604)上野国高崎藩主(5万石)となり、元和2年(1616)越後国高田藩主となった。
家次の子孫は、出羽庄内藩に移封され、幕末まで続いている。
酒井直次(1596-1630)は、家次の次男で、元和8年(1622)兄の忠勝が出羽庄内藩主となったため、庄内藩の支藩である出羽左沢藩主となった。
子供は、娘しかいなかったため左沢藩は一代限りで改易となり、庄内藩の領地となった。



TOP PAGE  観光カレンダー
TOP PAGE  观光最佳时期(旅游日历)